日にち薬

          長沼 満 八十四歳  神戸市灘区

 私が今、震災体験記を書いている九月は震災があってからもう八カ月になろうとしているが、精神的な後遺症を未だに感じている。大震災の直後は物凄いショックで、不眠や不安で一日中、焦燥状態が続いたのは仕方がないことである。精神状態がそんなであると、身体の生理も勿論狂ってくる。
 まず、食欲がなくなった。配給のおにぎりが凍ったように固まっているのも一因だが、口の中に入れても一向にあごが動かない。目や口が別々に行動しているようであった。
 私も家内も、便秘や下痢を繰り返す毎日が続いて本当に苦しかった。一カ月を過ぎると少しは症状もおさまったように思えたが、何しろ水がないので、その調達に心魂を磨り減らすような日々だった。
 身体はくたくたに疲労しているのに、夜はうつらうつらして熟睡できない。とろとろとすると、恐ろしい夢を見る。家内も同じようなことが起きるようで、「ぎやっ」と悲鳴を上げて起き上がったりした。老夫婦が全く同じような経過をたどったのは何故だろうかと思ったものだった。
 近所の人の話で、近くの避難所に医師が来られているとの事だったので、夫婦で早速行ってみた。他府県からボランティアで来られている医師は私達の話を全部も聞かずにこう言われた。「地震ショックですよ。多いですね。別に薬はありません。日にち薬ですよ」
 日にち薬という言葉を、若い医師から聞いたのは意外だったが、私達はそれ以上聞くことは出来なかった。負傷されている人達が私達の後に並んで待っておられたのを知っていたからだ。薬箱に残っていた頭痛薬を飲んで辛抱した。
 電気は地震後三、四日で回復したが、水道が復旧するのには四十五日かかった。しかし、排水管が破損しているので、流しやトイレに水を流すことが出来ない。野菜や食器を洗った水はバケツにためて、破損していない管のある所まで持って行って捨てれば良いのだが、トイレは簡単には処理が出来ない。
 一階の庭にユニットトイレが出来て、そこを使えというのだが、私達老人は夜中でも数回起きるので、八階からはとても通えない。そこで簡易トイレを何とか手に入れて使ったが、その始末にも頭を悩ます結果となった。
 私等夫婦はしばらく北区の親類の家に行くことにした。そこで風呂に入ったり洗濯物をしたりしていると、不思議にも「地震ショック」といわれた症状が消えた。ライフラインが完備した生活はストレスが無いので、「地震ショック」も逃げていったのではないだろうか。排水管が直ったとの通報で、十日間位の逃難行は終わった。
 住宅も一時は避難してくれと言われたほどだったが、専門家の検査で修理すれば住むのに差し支えなしとの決定が出て安心した。ガスは五十数日で復旧した。これで風呂にも入れるようになり平常な震災前の生活に戻れた。
 もうこれで完全に精神的にも平常になったと思ったが、なかなかそうもいかない。平穏な日々が続けば続くほどあのような大地震が起こるのではないだろうかと思ったり、大きな余震は必ず来るという話だから、それがいつ来るのだろうか、一年ほどして来た地方もあったそうだから、来年の始めまでは気が許せないと思ったりして、心の奥底に暗雲のようなものが潜んでいるような気がする。
 余震のある度にどきっとするのはいつもだが、八カ月も過ぎてあの一月十七日午前五時四十六分の阿鼻叫喚の中の一コマ一コマが蘇る。それは恐ろしいと言うよりも、悲しい思い出なのだ。老いた私の力では、助けを求められても助けられない非力に胸が痛む。日がたつに従って、何故かその気持ちが強くなる。これは私が生きている限り抱き続けなければならない気持ちなのだろうか。


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