地震の夢

          丸草 美恵子 五十四歳 主婦  神戸市東灘区

 あの恐怖の日からもう十カ月が過ぎようとしています。その間、一向にはかどらぬ後片付けや、落ち着かぬ生活に焦りやいらだちを感じ、また明日のことさえ見えず、何も考えられぬまま、月日だけが過ぎていきました。
 生かされたことと、多くの皆様方に支えていただいたことに感謝しつつ必死で過ごしてきました。少しずつ工夫しながら、一日も早く元の落ち着いた生活に戻りたいと努力しました。しかし茫然自失の日々が過ぎて、やっと自分を取り戻した頃から、亡くなった三人の身内のことが何かにつけ思い出され涙がこぼれるようになりました。
 そんなとき(三月末)主人が元の会社から呼び戻して頂き、お陰様で復職することができました。しかし今まで病気らしい病気をしたことのなかった主人が不規則な生活や、疲れ、栄養のかたより、ストレス等々から体調を崩し、お医者通いをしながらの通勤になりました。「こんなときガンにでもなっていたら」と心細い限りでしたが、胃潰瘍と過労とのことで薬だけの治療で治るとのことでほっと一安心。
 四月の下旬近くになってやっと水道とガスが出るようになりましたが、私も体調を崩して背中から腰へ痛みが走るようになりました。主人が家にいた頃はあまりしなくてすんでいた水汲みの回数が増えたことが原因ではないかと思いつきました。
 少し暖かくなった頃、大阪の伯母の家に避難させてもらっていた義母が帰ってきました。が、ショックからか痴呆が進んでしまいました。今年八十四歳になる義母は、我が家から歩いて三分ほどのところにある義姉の家にお世話になっていたのですが、「困っている。そっちで見てほしい。早くなんとかしてほしい」と依頼されました。そのことでまた頭を悩ませ、気持ちの休まる間がありませんでした。
 地震災害によって心の平安や体調や生活にも影響が現われ、何もかもくつがえされてしまいました。
 六月下旬から、私は義母のことで福祉事務所へ相談に行きました。一覧表に書いてある病院の見学とケースワーカーの方に相談するため、西へ東へと参りました。できれば私の目と足で確かめ、母が納得し、少しでも安心して入ってもらえる病院を探したかったのです。私が看病するのが一番いいとは思っても、我が家は住居の見通しがまだ立たずに、落ち着かない状態なのです。
 西の方の一つの病院を主人と見学したとき、電車を降りタクシーに乗りました。どんどんいなか道を走りました。とても環境はいいのですが、先に進むにつれ、「いくら痴呆になったとはいえ、母さんだって遠くに連れて来られているという不安で心細い気持ちになるのではないかしら」と、思い私の胸は悲しみでいっぱいになり、とうとう泣いてしまいました。主人とともに精神的につらい毎日が続きました。
 そして、やっと往復一時間ほどの距離にある老人保健施設が見つかりました。義母と一緒に診察をかねて見学に行き、義母も納得して入院したのですが、落ち着けずに退所してしまいました。やむなく義姉が退職して義母を看病することになりました。
 ところが義母は、十一月十四日、ちょうど義母の誕生日に、急逝してしまいました。姉は定年まで勤めると張り切っていたのに、大きな犠牲を払わせてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいです。
 今だに地震の夢を見、不眠に悩まされ、余震が来る度に恐怖がよみがえり、身体が震えます。気弱になったのか、めっきり涙もろくなり、情緒不安定になりました。家から離れることも不安で今までのような楽しい気持ちで外出できません。好きなお風呂にもゆっくりつかれず、シャンプーもなるべく明るいうちに短時間にと気がせきます。まだまだ心のケアが必要と痛切に感じます。
 最近、日本だけではなく世界の各地で大きな地震が繰り返し起きています。そのたびに、また怖かったあの日を思い出してしまいます。いい加減に忘れなければ心身に悪いと思いつつ……。でも震災当時の悲惨な生活と我が町の変わり果てた情景は一生忘れることはできないでしょう。神戸の復興とともにマイペースでこの心身の回復を待とうと思っています。


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