過酷な現実

          西尾 真理 三十歳 家事手伝い 明石市東野町

 我が町、須磨区板宿周辺の被害は深刻だった。賃貸アパートの我が家も全壊したが、その中ではまだ被害が軽かった。隣人は避難所に行ったが、壁一枚でこれを免れた。また、家財道具も出せたし、明石で家も借りられた。こうして住み慣れた神戸を離れ、新しい生活が始まった。
 被災から半年がたった。最近になってようやく、我が家や私も落ち着きを取り戻した。それに伴い私自身は、震災の持つ意味を考える余裕が少しは出てきた。
 確かに町は少しずつ元気を取り戻している。その一方で、相変わらず未解決の問題は山積みされているし、本当の問題はどんどん地下に潜って行くように思われてならない。
 また被災後、空前絶後の宗教事件が起こり、マスコミもそれ一色となった。被災地はすっかり忘れられているかのようだ。
 「今、神戸はどうなっているのですか」
と、どこに行っても聞かれる度に、空しさと寂しさがこみ上げてきたものだ。至る所で放置されている空き地は、まるで被災者の取り残された、あるいは理解することが困難な深い悲しみを象徴しているように思われてならない。
 歴史的な大災害となった今回の震災では、いたる所で生死の境が垣間見られた。生死の一線を越えた人々は、時としてそれが強靱なバネとなり、個人の飛躍的な発展につながるという話は世界中に存在する。しかしそんな力強さは、一夜にして形成されるものではない。その事を如実に訴えたのが、世界的に有名な精神科医V・E・フランクル氏だと思う。
 彼はナチス占領下において強制収容所に送られ、奇跡的に生還したユダヤ人の一人である。フランクル氏はかろうじて生き残った。だが、強制収容所時代に受けた心の傷には、随分長い間苦しんだという。それはもしかすると生きている限り、決して消え去る事ができないものではないだろうかと私は感じた。もちろんこの重荷は、彼一人が背負っていたわけではないだろう。
 彼は過去に受けた苦悩もさる事ながら、その後全てを失った空虚感を抱えていた。また強制収容所内で起こった事実は、隠蔽化されてきた。そのためゲート外にいた人々は、彼等の苦悩を知らない。例え知っても、そのあまりの異常さに、それを理解する事は難しかったという。その事は、彼を含む収容所からの帰還者の後遺症を深刻化させたとフランクルは語る。
 辛い体験は早く忘れたい。おのずと口は重くなるものだろう。
 しかしフランクル氏はその力に逆らう強い意志とエネルギーを持っていた。そして収容所時代の体験を、自らの言葉で世界に向けて語った。それは過去に始まり、現在進行形で続く過酷な現実を直視したものだった。一方では、科学者としての十分な分析もなされていた。その後、彼は精神科医として様々な功績を残すが、その事が彼の原点となっている事は間違いないだろう。
 被災以前の私は、これらの事実が持つ本当の意味について、理解していたとはいえない。今になると、過去に読んだ彼の著作も、その言葉の表面をなぞっていたに過ぎないように思われてくる。しかし今は、少し違ってきた。
 私自身、被災直後は慣れっこになっていた悲惨な映像も、今では見るのも嫌になっている。あの日、あの時感じた恐怖を彷彿させるものは、一切、遠ざけたいし、口にするのも億劫になってきた。被害が軽く、若い私ですらこうなのだ。もっと被害が重かった人々には、深刻なものがあるだろう。
 自然災害と戦争による人災は根本的には違う。だがある日突然、何もかも失う人間の苦悩や心の傷は、普遍的なものではないだろうか。また事故や病気で何かを失わざるをえない人々も、同様だろう。何かを失わずに生きられる人間など、この世には一人もいないのではないだろうか。
 今の私は、フランクル氏が持つ本当の勇気と業績に改めて感嘆する。もし被災の体験がなければ、彼が残した真の功績について理解できなかったと思う。
 大災害は悲惨な現実をもたらした。だがその現実をみつめ、乗り越える事ができるようになった時、扉は開かれ、新しい町が誕生すると私は思う。人の痛みがわかる人々が多く暮らす町、本当の豊かさを知っている町が。


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