地震ごっこ

          宮本 恵子 二十八歳 主婦  神戸市兵庫区

 虫が殺せなくなった。正確に言えば、殺しにくくなったのだが、蚊でもゴキブリでも殺すのを一瞬ためらう。すると逃げられる。
 特別、他の人より、優しいわけでも何でもない。しかし、あの大震災で亡くなった方が五千人以上にものぼる中で生き残ったんだなあと思うと、やっぱりためらってしまう。蚊ならまだましだが、ゴキブリに逃げられると「あぁ、やっぱりひと思いに殺しておけばよかった」と、つくづく後悔してしまう。
 小さい子供がいるので、殺虫剤は使いたくない。スリッパか新聞紙をまるめたもので「パン!」とやるのだが、どうも今までよりも「パン!」の音が鈍い。
 道で自分たちの一歳になる娘と同じ位の赤ちゃんを見ると「よかったでちゅねぇ」と声をかけたくなる。そのお母さんには「大変だったでしょう」とねぎらいの言葉をかけたくなる。
 当時、娘は四カ月半で、母乳でなくミルクで育てていた我家は大変だった。皆ケガこそなかったが、ひっくり返った物の中から哺乳瓶と粉ミルクの缶をひっぱり出すのは大変だった。
 五時四十六分、当然、朝のミルクが必要になる。今、気が動転している時に泣かれたくない。それでなくてもうちの娘は私がノイローゼになって、いっそ狂ってしまいたいと思うくらい、一日中ぐずぐず言っていた。とりあえずはミルクだ。
 十二日で四歳になったばかりの長男にはジャンパーを着せて、安全なベビーベッドの上に座らせた。さすがに、ボーゼンとしたまま動かない。哺乳瓶と粉ミルクはあったけど、お湯がない。あれだけ重宝していたミルクポットがひっくり返って、こぼれたお湯でその辺がベチャベチャだ。すぐ主人に近所にお湯がないか聞きに行ってもらう。少しして、ミルクポットに半分位お湯をもらって帰ってきた。前のおばちゃんもポットのままお湯をくれた。ありがたい。まだ大きな揺れの続く中、ミルクをやった。
 あの時、あなたの所はどうだったの? どうやって乗り切ったの? 赤ちゃんを連れている人にそう、声をかけたくなる。一人でもいたみを分けあう仲間が欲しいのだろうか。
 長男はあれからずっと「地震ごっこ」をしている。いーっぱいおもちゃを積みあげては上から物を落して「わぁー地震だぞー」と言ってたのしそうに遊んでいる。
 多分、息子に「何でそんな遊びをするの?」と聞いても「わかれへん」と言うだろう。私にだって分からない。辛そうに遊ぶ訳じゃないから放っておいていいのかな……と思っていたら、新聞に「子供の心は傷ついています」という記事があって、「いたる所の電気をつけてまわる」のと並んで「地震ごっこ」もあった。「えっ、こんなに明るいのにうちの子も心の病気なの? うそ!」
 何回か電話相談をしてみようと思ったが、そんな暇もないのでそのまま気になりながら今日まできている。この頃、少しずつ、「地震ごっこ」の回数も減ってきたように思う。この夏休みで少しは心のケアが出来たのだろうか。
 この前、けっこう大きな地震がきた時、息子がバッタンバッタンしながら私の所にとんできた。いつも私におこられて逃げる時より素早かったと思う。私は落ち着かそうと「アホ。今のはでっかいトラックが通ったんやで」と言ってやったら、半信半疑で「ふーん」と言って又遊んでいたが、私は冷や汗をかいていた。
 私の心のケアは誰がしてくれるのだろう。もう、大人だし、二児の母だし、勝手に立ち直らなければいけないのだろうか。主人は相変わらず仕事で朝から夜中までいない。彼は地震の事はどう思っているのだろう。やはり少しは怯えているのだろうか。夫婦なのにわからない。
 夫婦といえば地震後、離婚も増えているらしい。あの極限の中で相手の本性が見えたとか……。彼は私の事をどう見ているのだろう。地震離婚したいと思ってるのではないだろうか。あぁこわい。
 神戸は、どんどん復興に向かっていくだろう。やがて立派な防災都市が出来上がるだろう。でも、この異常気象の続く中、地球はどうなるのだろう。このままの状態が続くと百年後にはもっとひどい天災や、異常気象がやってくると何かで読んで、思わず、「うんうん」とうなずいた。それより、百年後まで地球はもつのだろうか。戦争やテロもやめてほしい。
 私の周りはなぜかいい人ばかりだ。皆、心から平和を、毎日の平凡を願っている。いっそのこと、そんな人達が集まって議員さんにでもなって欲しい。そうすれば、もっと世界中の人が平和に平凡に暮らしていけると思うが……。そう思うのは、私だけだろうか。


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