自信と誇りを

          橋口 美和子 二十九歳 主婦  神戸市長田区

 あの大震災より半年余りが過ぎた。疲れ果てた身体が平常に戻りつつある人が多い中、本人さえ気付いていない心のケアを必要としている人達のことが今とても気にかかる。
 機動隊員の私の主人。震災前日の当直勤務から四日目に一時帰宅をした。何よりも多くの人を生きているうちに救出したいという思いだけで働いていた。言葉数は少なかったが、無力さと悔しさを隠し切れない様子であった。ほどなく多くの県外の警察官の応援があったが、言うまでもなく激務は変わらなかった。
 私も水汲みと家族の世話に追われていたが、一段落した時はっとした。救出が毎日繰り返される中で、主人は一度も自分のしてきた仕事に満足している様子が無かったのだ。それはずっと続いた。
 たとえば、
 「もっとこうすれば良かったんじゃないか」「あと少し早ければ」「あれもしてやりたかった」。
 後悔と自責の言葉のみなのだ。側で聞いていても、こんなに頑張っているのになぜ? と幾度も思った。慰めの言葉は、主人の気持ちを逆撫でするだけだった。私は家族として、ただの一市民として機動隊をはじめ全ての警察官に頭の下がる思いであったが、実際現場で働くものにとっては、自分との戦いでもあったのだ。気付いてから主人にはつとめて自信を持ってもらうように気を遣った。
 生存者の発見が絶望的になった頃は、死臭との戦いもあった。遺骨拾いを手伝った火災現場で、溶けてしまった自分の靴底を出勤前に幾度も触っていた。体力を付けて頑張ってほしいと力のつく食事を用意しても、肉類はほとんど受け付けない。一生懸命やろうという気持ちと、体力の限界とのギャップ。
 倒壊ビルから遺体が発見される。レンジャー隊員の主人達が翌日、ロープで遺体を下ろす予定を聞いたとき、安全を祈らずにはいられなかった。そして数週間の日が経過しているために、かなり腐乱も進んでいるらしい。身寄りもなくビルからやっと出られる遺体が、今は安心して待っているだろうと、喜んで主人を送り出した時もあった。
 被災した方々は、言い尽くせない心の傷を持っておられる。しかし直後から被災者救出や、復旧作業、ボランティアに携わった人々も深く心に傷をおっている事も忘れてはならない。それは厄介な事に、本人は気付いていない事が多いと聞く。
 加えて自らも被災者という人も大勢いる。真面目に、そして真剣に関われば関わるほど余裕が持てず、一途にのめりこんでゆく。休息を取ることにとても罪悪感を持ってしまう。第三者的に関われず、それが最悪の場合、自殺にも結び付きかねないという。責任者という立場の方はなおさらだろう。幸い、主人は早い時期に自分を取り戻し、今では貴重な経験をさせてもらえたあの時を大切にしたいと言えるようになった。
 心のケアというものは、私達には出来ないものなのか。夜間パトロールで街を歩いている時、「ありがとう」「頑張ってね」のそんな一言が、どれほど多くの警察官を救ったことだろうか。
 避難所のボランティアの方が言っていた。「感謝してほしいと思ったことは一度もないが、感謝してくださると元気が出ます」と。街に出て、三歳の息子が県外からの応援のゴミ収集車に足を止めて手を振った。笑って手を振り返してくれたあの人に、私達の気持ちが伝わっただろうか。
 今後、全国どこでも起こりうる災害時には、心のケア専門チームが、被災した人々にはもちろん、それを手伝う側にも必ずついて頂きたいと切望する。今でも県、市の職員の方々、ライフライン関係の方々がまだまだ大変な時期を過ごしておられることだろう。どうか自分のしてきた仕事に、自信と誇りをもってほしい。そして街がまだその力を必要としている事に、私達も一緒に取り組んでいかなければと改めて思う。
 阪神大震災は終わっていない。全ての人々が安らげるまで。


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