木犀

          竹中 より子 七十三歳 主婦 神戸市東灘区

 地震後は救急車、消防車、パトカーのけたたましいサイレンの音、低空を飛ぶヘリコプターの音、次々とおこる余震の音、しかし緊張していたせいか、毎日無我夢中で過ごしました。

 家のまわりは倒壊した家が多く、前の広い道が一目で見えるようになり、車が渋滞して騒音は異様なまでに高く聞こえました。

 二月、ブルドーザーが入り易い道をえらんで、道路の瓦礫をとっていきました。コンクリートの塀や、倒れた電柱を砕く音、ブルドーザーの動く音も加わって、振動で、又地震かと思うほどの地響きです。地震で亀裂の入った壁、ゆがんだ柱は、さらにひどくなりました。太い棟木を折る音、もうやめてほしいと耳を塞ぐ時もありました。

 瓦礫や道に倒れた柱はダンプカーが運ぶこともありましたが、大部分は倒れた家の方に戻していました。道路の瓦礫撤去は市の土木局の仕事のようでした。瓦礫で高くなったところも人が歩いて固めたので、道路を人も車も通れるようになりました。

 三月、中旬になる頃殆どの道の瓦礫が撤去され、家の解体が始まりました。前夜から、ダンプカーにブルドーザーを積んで道で待機しています。朝早くからガタガタとする音に目が覚めます。ブルドーザーの車輪は特殊なので道を通る音はひどいものです。

 解体車の先につける機械もいろいろあり仕事が手順良くできるようになって、木材と金物を分けてダンプカーに積み込んでいます。熟練した人が運転席で操作しています。砂や土をふるい落として大きい板物をダンプカーに積んでいます。残りの瓦礫だけ山のように積んで、バケットという機械で道のダンプカーに入れています。わたしは、土埃が舞うのも気にせず初めての解体を珍しく見ていました。

 三月も下旬になると、我が家の前も後ろも横の家も撤去されるようになりました。瓦礫を山のように積んだ車が道に列んでいます。決まった捨て場所への道が渋滞のようです。

 四月、我が家は平屋で、倒壊を免れましたので修理することになりました。壁土をカッターで切り落とす音、大工さんの使う機械の音で家の中も騒音です。周囲の家の撤去が次々進みます。空き地になった所には、ダンプカー、ブルドーザーを何台もおいたままです。水の出ない所ではあたり一面土埃が舞っていきます。中旬ごろに台風並の突風が吹き荒れ雷まで鳴りました。屋根にかけたシートが風をはらんでめくれ、紐も切れてしまいました。天井から雨漏りして情けなくなりました。

 五月。家の解体撤去が進み、道路はどこも瓦礫を満載したダンプカーやこれから現場へ向かう車で渋滞しています。狭い道では横をすり抜けるようにして走って通ります。「車両通行止」「一方通行」も無視です。こんな時は仕方がないのでしょうか? ナンバープレートを見て全国から解体業者が来ているのに驚きました。十一日より雨がよく降り、翌日には大雨洪水警報が出され、激しい雨音と、シートのパタパタ鳴る音で眠られません。屋根だけは、地震後すぐ修理すべきだったと後悔しました。

 六、七月。屋根の修理。瓦を下に落とす音や土を落とす音。屋根に資材をあげる電動の梯子のモーターの音。暑さの中よけいに暑くなりました。屋根の修理も済みほっとしました。七月も下旬になると、瓦礫を積んだダンプカーは殆ど見かけなくなりました。道から道まで空地が続きます。

 家を建てる基礎工事が始まり、地盤強化のためボーリングをしてセメントを入れる作業を見るようになりましたが、ボーリングの音もやかましいものです。

 九月。木造の家やプレハブの家が建ちはじめました。大安の日ともなると、資材を満載したトラックの列です。狭い道では側溝に鉄板をかけて大型の車を通します。入りにくい道はバックでピーピー音をならして入ります。二度運ぶのを三度に分けて運べばよいのにと思いました。プレハブの家は、前日から家の型をしたのがトラックに積まれ、何台も近くの道にとまっています。恐ろしく長いクレーン車が残った家の上を越えて家を設置してゆきます。草の茂った空き地。基礎を済ませた所。家は建っていますが、内装がまだなのか、人手不足で工事は進んでいません。

 十月。まわりは少し静かになりました。被災地を離れた人にも、被災地で生活している人にも苦難の道です。街の復興は遠いようです。緑の多かった住宅地、「魚崎北町」。空き地を見ながら歩いていると、どこからか木犀の匂いがしてきました。確かこの広い空き地には立派な家が建っていました。庭にも大きな木犀の木が何本かありました。今はどこに居られるのだろう。早く人が戻ってきてほしいと思います。


[ 目次へ | ホームページへ ]