天災保険

          三島 喜八郎 七十歳 織物小売業  神戸市須磨区

 大地震により、昭和四十四年以来、営々として築いていた私の小さな店舗住宅も一瞬のうちに破壊され、二階が一階になってしまった。神戸市全体が破壊されたと思われた。

 時が経つにつれて、惨憺たる状況は神戸市のみならず、芦屋、西宮、宝塚の各市に及ぶ広範囲にわたると判明した。全国から続々と義捐金や、毛布、食糧などが送られてきた。兵庫県や神戸市の職員も全力を挙げて被災者の救援に当たった。不眠不休である。自分自身も地震のため、家を失った県や市の役人もいるが、それを顧みることもなく、救援に努力している姿を見ると如何に役目柄とはいえ全く有難いものであった。

 しかし、一瞬のうちに全財産を失った我々に対して、「頑張れ」「頑張れ」と勇気づけて下さるのは全く嬉しいことであるが、商品や生活の基盤を一瞬のうちに失ってしまった私達小売商人は、如何に頑張ればよいのであろうか? 「明日からの生活の手段を如何にして確保するか?」が、最も緊急で最大の課題である。

 公的機関が指し示してくれる将来の再建計画は、十分理解できるが、差し迫った今日、明日の生活や商売を如何にするかが、私達には当面の問題である。

 店舗と住宅の再建のためにこの十カ月走り廻った。未だ手に入れることが出来ない。このイライラした気持ち、あせり。地権の問題、資金の問題、土地の区画整理の問題、等々。この度の地震災害に当たって、三坪、五坪の小さな土地すら持っていなかった事の無念さ、残念さをしみじみと味わった。あちらに頭を下げ、こちらにお願いして廻らねばならないみじめな姿。全く情けない。

 「お見舞金」として県や市から頂いたお金も十カ月の生活を支える事は出来ない。どんなに節約しても商売をやりながらであれば生活できるが、ストップの状態では生活の心配が一番先に来る。一日も早く商売を始めなくてはならぬ。

 「泣き言は決して言うまい。泣き言を言っても問題は解決しない。自分が貿易の途からこの『小売商』の途に進んだ独立自尊の原点にもう一度立ち返って、元気を奮い立たせ、体力、気力を充実させねばならない」と思う。

 あの神戸大空襲で二度も焼かれ、何一つ持ち出すことも出来ず、全財産を失った父親が再建に取り組んだ姿を私は見て、知っている。一言の泣き言も言わず黙々と四人の子供を育ててくれたあの姿を。父親の時代と比較すれば、私の方が楽であろう。荷物になる子供達はいずれも成人し、他の地方で生活に頑張っている。元気な家内と私自身のみが生活すればよいのである。「子供に頼るな! 元気に働け」と自分自身を励ましている昨今である。

 神戸には絶対地震による災害は起こらないと言っていた人もあったという。しかし日本列島そのものが地震帯の上に存在しているのである。関東大震災、濃尾大地震、南海道大地震、数えれば至るところ大地震は起こっている。このような大地震による災害は、保険会社の保険でカバーすることなど出来ないのは明白なことである。

 私はここで提言したい。日本全土をカバーする「天災保険」的なもの、つまり国民健康保険のような発想の保険である。地震のみでなく、水害や山津波、土砂崩れによる災害は、日本中何処ででも起こり得る。

 共済保険的なものを全国的に展開してはどうか。これは一地方だけでは運営できない。全国民が自助努力をするのである。そしてその上に政府による援助もスムーズに行われるようになれば、国民は安心して日々の生活をすることが出来るであろうと信ずる。世の識者、学者諸先生方のご検討をお願いしたい。

 「義捐金」のみによる再建復興は不可能だ。この災害を教訓として、英知を働かせ、自らの努力で、安心して住める神戸の町が再建されることを望む。


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