一枚の紙切れ

         守田 基師子 五十二歳 話し方教室主宰  兵庫県加古川市

 三宮中心街の賃貸マンションの一室で地震に遭いました。それ以来、闘病中の娘を守りながら、生きるための闘いの連続です。
 娘と共に大阪の知人宅へ逃げ、三カ月近くにも及ぶ避難生活を送りましたが、我が家で過ごすのとは違った複雑な思いの中での生活でした。週に一、二回、神戸のマンションに片づけに戻り、水くみをしたり、さまざまな問題を抱えて役所へ必死に相談に出向きました。人間らしい生活を求めて日々かけまわりましたが、大きな差別に近いものを感じています。
 それは一枚の紙切れの問題です。役所で何度説明しお願いしても、私共が手にしたのは「一部損壊」の罹災証明書でした。
 恥を忍んで、私共の実情をそのまま訴えてお願いしました。家の中はぐちゃぐちゃになり、大きな被害を受けているにもかかわらず、集合住宅には全体に同じ証明書しか出せないということで、三時間ほどかけてお願いをしたにもかかわらず判定は変わりませんでした。
「お気持ちはよくわかります。現実は仕方ありません。もしどうしてもとおっしゃいますなら、法律を変えて下さい」とのことでした。
 重度のアトピー症の娘に毎月十五万、二十万円と出費があり、東京の大学に在学中の息子への送金も必要です。多くの特典を受けられる半壊の証明書は、私共の生活に大きな恵みをもたらします。
 娘の年間の医療費控除の申請をしても、私共に返ってくるお金は支払った額の一割程度です。少しでも支出を抑えようと、東京の息子の授業料の免除の申請もしました。しかし、ここでも問題になるのが証明書です。半壊なら認められるのですが、一部損壊では……。また娘の通院のため、京都の被災者用の住宅をお借りしたいと申し出ましたら、ここでも半壊以上の証明書がないと無理とのことでした。
 月に十五万円もするマンションでの生活は無理で、必死で安い住宅を捜そうとしましたが、状況は最悪でした。公的援助のある住宅はすべて半壊以上の証明書を手にしている人を対象にしています。
 現実には、半壊の人と被害は等しいかそれ以上にもかかわらず、私共が受けられる援助はゼロに等しいのです。
 震災により、病状が更に悪化してしまった娘を入院させていますが、行政の冷たさを日々感じています。住宅については、必死で捜し、やっと知人宅を安くして頂き三年ほどの約束でお借りしています。しかし、三年したら又、家を移らなければならず、大きな不安を抱えています。
 今の私共にぬくもりを与えて下さるのは知り合いだけです。役所は全て、証明書の内容で私達を差別します。役所へ出向き、私共の現実を説明しますと、「大変ですね。私達もお助けしたいのは山々ですが、全て決まりです。私共には何ともしようがございません。どうかご理解下さい」。全てこの繰り返しです。現状に即した救済制度が取り入れられない限り、日々、苦しみ、泣き暮らしている人を救うことは決してできないでしょう。
 大きな被害もなく全壊、半壊の証明を手にして、見舞金をもらったとか、安くお金を借りられたとか、安い家を借りられたとか、そのような話を耳にすると、悔しさと空しさで涙が流れます。無気力になり、もう人を信じようとする心を失っていく自分が怖い気がします。
 この震災で、行政の冷たさを私自身が肌で感じ、自力で多くの問題と闘い同様の問題を抱え苦しんでいる人々の話を聞きました。私達の意見が少しでも取り入れられ、制度が変化するよう、愚痴を言うだけでなく、私なりに行動し取り組んで行こうと思います。


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