理事長

          津田 一郎 七十一歳 マンション管理組合役員 神戸市灘区

 私の住んでいた神戸市灘区のマンションは、築後二十年で百十戸が入居していました。地震で全壊の判定を受け立入禁止の赤紙が張られました。地震当時、私はこのマンションの管理組合の理事長を務めておりました。

 地震後、居住者は近くの避難所や、つてを頼って近県に避難しました。私も一時は最寄りの小学校にお世話になりましたが、幸い近くのマンションを借りることができました。こことても一部損壊ですが、致し方ありません。

 理事長としての私の役割は、居住者の総意をくみ上げ、元の住居を再建することです。しかし居住者の事情はさまざまで、すでにローンを終えている人もあれば、入居後間もなくまだたくさんローンを抱えている人もあります。三戸は民間会社の社宅です。経済的な事情だけでなく、現住所も年齢も家族構成もまちまちです。

 地震後しばらくすると、赤紙を無視して、傾いたマンションで寝起きする人も出てきました。水も電気もガスもないのですが、避難所はプライバシーもなく落ち着かないし、かといって他に行き場がない人達です。避難所へ行った人達からも、「早く住めるようにしてほしい」と催促されました。

 そこでマンションの建築業者や県や市の窓口との折衝を始めました。まず、どこへ行って良いかも分からない状態でした。住所を調べて近くまで行っても、神戸市の中心部には県外の建築業者の人ばかりで道も聞けません。ようやく捜し当て、窓口担当者に相談しても的確なアドバイスが受けられません。

 これは無理もない話で、これらの担当者もこのような大災害の経験はなく、何事も初めてで返事のしようがなかったのです。行政はまず窓口を作り、担当者を指名しますが、その人たちがすべての質問に答えられるものではありません。しかも、時間がたつにつれ建築基準や行政のバックアップ態勢も変わります。もちろん罹災者に配慮した改善なのですが、聞く側にしてみれば「前に聞いたことと違う」事柄が発生します。

 例えば、私たちのマンションの場合、修復か建て替えかが問題でした。現行の建築基準では建て替えでは七十四戸しか確保できません。時間も費用もかかる建て替えは、当初合意を得るのが難しそうに思えました。ところがその後、公開空地の提供を条件に基準が緩和され、徐々に戸数が増え、九十一戸を建てられるようになり十一月五日の総会で建て替えが決定しました。この間何度も建築プランを変更しました。

 私は五月末の改選期に理事長を退きました。ほとんどの住民が傍観し、注文だけ付けるのにうんざりしたからです。しかし、新理事長も「体調不良」となりやむなく理事長代行を務めています。

 これから解体工事が始まります。公費での解体は平成八年の三月までですから、それまでに完了せねばなりません。十二月十日までに居住者の家財を搬出する必要があります。撤去を完全に終え部屋の掃除まで済ませている世帯もあれば、グランドピアノを置きっぱなしのお宅もあります。マンションは十一階建てですから、エレベーターが停止すれば持ち運びはできなくなります。迅速に搬出を行いながら、しかも事情があってどうしても期限に間に合わない人の救済も考えなければなりません。

 解体工事に伴う環境の問題もあります。解体と再建を含めると二、三年も続く工事なので、周辺の町内会の方々に工事内容を説明し了解をお願いせねばなりません。一つ片づいても、まだ問題は山積しています。しんどい仕事ではありますが、地震をきっかけに天が私に与えた使命と思い、頑張るつもりです。

 再建復興を目指す活動を通じ、今までなかった知識も増え、知己も増えました。建築家や設計士や弁護士からなる支援グループの方々や、ディベロッパーや行政の担当者とも知り合いになり、気軽に相談できるようになりました。また、関連する勉強会に参加し、同じようにマンション再建を目指す方々とも交流ができました。互いに励まし啓発しながら、復興に取り組めそうです。

 地震後、試行錯誤もありましたが、行政も業者も支援グループも必死に勉強してくれました。われわれ居住者の側も成長しました。全体のレベルがずいぶん上がったのではないでしょうか。

 私たちのマンションでは、傍観しているだけの居住者もまだ多く、二、三人の「再建復興委員」だけが汗をかいている状態です。しかし、今の私には、未曾有の災害からの復興という大仕事に挑戦しているという充実感もあります。


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