神戸新聞


2015年1月8日朝刊


【被災者手記集、10年ぶり発行】

前回執筆者らの「その後」描く
募った14編 亡き伯父と
遺志継ぎ編集 芦屋の高森さん


市民から阪神・淡路大震災の手記を募り、震災から10年にわたって発行を続けた「阪神大震災を記録しつづける会」が10日、10年ぶりに手記集を出す。
遺族や被災者、支援者から募った14編に、あの日から20年間の歩みが刻まれている。(上田勇紀)


同会は震災直後から手記を公募。
2005年までに計10巻を出版し、438編を収録した。
第10巻が出来上がる直前、代表だった高森一徳(かずのり)さんが57歳で急逝。
当初から「10年で10巻」を目標にしていたことから、活動を縮小していた。

今回、手記集の発行を呼び掛けたのは、一徳さんのめいで、大阪大学大学院生の高森順子さん(30)=兵庫県芦屋市。
東日本大震災の被災地で手記が読み継がれていることを知り、これまでの執筆者と準備を進めてきた。内容の継続性を重視し、今回は公募せず、大半を過去の執筆者が書いた。
新長田のまちづくりやボランティア活動など、それぞれの「その後」が描かれている。

第2巻から連続して書く神戸市中央区の綱哲男さん(87)は、震災で同市東灘区の自宅が全壊。仮設住宅、復興住宅の暮らしをつづってきた。
「自分にとって手記とは、定点観測のようなもの」と話す。
今回は「記録は記憶より長生きする。次の世代に伝えつづけねば」と決意を込めた。

編集作業を担った高森さんは震災当時小学5年生で、伯父の死後、初めて手記集を手に取った。
「震災に『典型』はないことを知った。伯父が生きていれば、『節目だけじゃなく続けるべきだ』と言うだろう」と、今後の活動を模索する。

兵庫県の助成を受けて千部発行。数に限りがあるが、希望者は同会ホームページ(http://www.npo.co.jp/hanshin/)の問い合わせフォームから申し込む。

【長女亡くした小西眞希子さん】
「20歳の誕生日」仏前で乾杯「生きる目的探し続けた」

 手記集には、長女希(のぞみ)ちゃん=当時(5)=を亡くした神戸市灘区の保育士、小西眞希子さん(55)も執筆者として名を連ねた。
第1巻、第10巻に続き、3回目の投稿になる。
震災4カ月後に発行された第1巻では被災状況を描き、「あなたを奪った大震災がお母さんは本当に憎いです。今、お母さんもお父さんも死ぬことを怖いと思いません」とつづった。
今回は、希ちゃんの二十歳の誕生日をきっかけに、毎日ご飯を供えるのをやめたことや、次女理菜さん(21)の成長を原稿用紙に記した。

もうすぐ震災から20年を迎えます。私にとって「生きる」事を考え続けた20年だったと思います。
当時5才だった長女希を亡くし、生きていく事が辛く苦しい日々が続きました。
なぜ私は生きているのか。どうして希を助けてあげられなかったのか。
そんな私が生きてこれたのは次女理菜が居てくれたからです。当時1才の理菜を育てる。
そして希のために出来る事を探す事が生きる目的になっていました。
手記を書き、取材を受け、防災の活動に参加しました。
その中での多くの人たちとの出会いは、私にも生きる意味と喜びを教えてくれました。

私は亡くなった希の誕生日を毎年祝っています。
昔の人は亡くなった子の年を数えるなと言いますが、希は確実に私の中で育っていきました。
20才の誕生日、仏壇にお酒を供えて乾杯をしました。
20才になった娘はどんな女性になったでしょう。友達もたくさんいるでしょう。
ひょっとしたら彼氏もいるのかもしれません。もう毎日家で食事をする事もないのでしょう。
私はずっと続けてきた陰膳をやめました。
今は、希の好きな物を作った時と特別な時だけお供えしています。

(中略)

 私の書いた手記を朗読してくださった方が、「希ちゃんは今もこうして多くの方々に震災の事を伝え、命の大切さを教えるお仕事をしていますよ」と言ってくださったと聞きました。
嬉(うれ)しかったです。希はちゃんと生きています。震災で亡くなった方々は多くの人の心の中で生き続けています。(今月発行の第11巻から)