編集後記

      阪神大震災を記録しつづける会
          編集総括  小橋 繁好



 一九九五年一月十七日午前五時四十六分。

 淡路島から神戸、阪神間にかけて亀裂が走った日に、自分はどこで、何をしていたかを、この時代を生きた人は生涯忘れないだろう。
 連日、新聞やテレビ、そして雑誌などのあらゆるメディアに、「恐怖の体験」があふれた。被災者はどう行動し、何を考えたか。行政は危機管理機能を十分に果たしたか。メモを持った記者に囲まれ、マイクを突き出されて、被災者たちはこれらの質問に答えた。
 私たちは、「聞かれて答える体験談」ではなく、自ら鉛筆を持ち、ワープロをたたき、テープに吹き込んだ人々の生の声を求め、記録に残すことにした。被災者たちの思いや叫びが、歴史の貴重な資料になると考えたからだ。
 実は、「被害の体験記」が集まると予想していた。だが、違った。「闘う手記」だった。家族を失い、家をなくし、みぞうの大災害に打ちのめされながら、復興に向けて立ち上がる決意が生々しく綴られていた。
 ここに収録できたのは、その一部である。
 その時、ほとんどの人が、「死」を垣間見ている。予期しなかった震度7の地震より、予期できる余震におびえ、死を覚悟した人も多い。廃虚の中で、「生きていて、よかった」と、声を掛け合う生き延びた人たちの間に連帯感が生まれた。この言葉が、隣人と交わした初めての「あいさつ」だった住民もいる。
 太平洋戦争を経験した人たちは、空襲の記憶をよみがえらせた。多くの若者までが、被災地を「戦災地」と表現している。当然、彼らは戦争を知らない。いままで、見たこともない惨状を、そう表現する以外に言葉が見付からなかったのだろう。
 この震災で、日本に初めて真のボランティアが芽生え、根付く基礎が築かれた。あらゆる年齢、地域、職種の人たちが「自分は何ができるか」を真剣に考え、行動を起こした。
 震災の記録はまた、ボランティアの記録でもある。
 仮設住宅が建ち、避難所が減り、新幹線が開通しようとも、大災害のつめあとは被災者の生活や心に深く残ったままだ。復興には長い時間がかかる。
 死線をさまよった人たちが、これからどう生きていくか、ボランティア活動に飛び込んだ若者の成長。それらを記録し続けることが、われわれに課せられた責務だと思う。

 この体験集は、第一歩である。