大地が揺さぶられた日

    セレステ・M・ウオード 四十歳 主婦 神戸市北区


 普段、私は寝ている時間だったが、午前五時四十三分に一階に下りた。主人のヘンリーと長男のスティーブは二階の教室で、残りの四人の子供たちは眠っていた。私がバスルームに入っている間に、家具が音をたてはじめ明かりが消えた。
 私は「これは地震だ。しかし、こんなことは神戸では起こったことがない」と、咄嗟に思ったのを覚えている。
 それからすべてが揺れ始めた。私はそれが終わるよう祈った。階段へよろめきながら近づくと、真っ暗だった。たぶん十五秒くらいだったのだろう。永遠のように思えた。揺れは非常に激しかったので、階段のそばの壁に両手で寄りかかり、かろうじて立っていた。コンクリートミキサーの中で攪拌されているようだった。私は大声で夫を呼んだが、彼は返事をしなかった。
 やっと私は自分を取り戻し、事態は平静に戻り始めた。家と床が揺れるのが止まり、私は子供部屋へ向かった。末の二人、テレサとジョーは、私が叫ぶのを聞くまでは平静だった。それから、私はマッチとろうそくを取るのに気づいた。前夜、私は彼らの様子を見ていたので、どこを探せばよいのか分かっていた。
 一方、二階では、主人と長男がすべて崩れてしまった本に阻まれたドアから出ようとしていた。私はろうそくに火をつけ、彼らの方へ向かった。主人と私は二人ともおびえていた。私のこれまでの人生で、こんなに怖かったことはなかった。それは神の御業だ。それ以外の何物もこれを説明できない。
 聖書のマタイによる福音書の第二四章七は、「方々に地震が起こる」と語っている。ほぼ六時になって、私たちは数本のろうそくを点して着替えた。外は、すべてが薄気味悪く死のような静けさだった。私たちは、ほかの人々はどうしているのか不思議だった。二台の灯油ストーブに火をつけた。
 それから掃除に取りかかったが、二枚の絵のガラスが割れていた。玄関の大きくて重い姿見が、壁から外れて靴の上に滑り落ちていた。リビングルームは最も被害が大きかった。二十年間ためた陶器のいくつかが、数個のアンティークの花瓶とともに粉々になっていた。被害がもっと大きかったとしても不思議ではないのに、ありがたいことにこれだけですんだ。外ではバイクが倒れていた。家族全員が無事で、ちょっと「揺さぶられた」だけである。
 電気は十時ごろに復旧した。私たちはテレビをつけ、山ひとつ隔てた神戸市街の火事と徹底的な破壊を見た。電話は受信できたが発信ができなかった。米国人の友人のシェーファー家の人たちから十一時ごろ電話がかかってきた。シェーファー家のご主人は、建設中の教会の資材を集めるためにロサンゼルスに行っていた。彼は土曜日の二十一日に帰る予定だった。
 西宮に住むクレイグさん一家と連絡がとれていなかったので、シェーファーさんに試してもらうようお願いした。クレイグ夫人は一人で、六歳から十七歳までの十五人の日本人の子供の面倒を見ている。私たちは彼女のことが心配だった。
 私たちは、外に出て近所をチェックし、私たちの教会に来ている婦人を見つけた。彼女は働いていた。車道や歩道やほかの場所で、たくさんの亀裂を見た。学校やほとんどの事業所は閉鎖していた。ガス漏れはいたるところで発生していた。道路修理の作業員たちは三時ごろになって来た。神戸の中心街が復旧するには相当時間がかかりそうに思える。多くの高架道路や電車の軌道がひどく被害を受けた。弔いの鐘が鳴り続けている。私たちは亡くなった方々を悼み、何かできることをしたいと考えている。
 衝撃を受けた一日が終わった。楽しい経験ではなかった。子供たちは、私たち夫婦が彼らの見えるところにいるかぎりでは元気だ。数日は、家族全員が同じ部屋で寝た。スポンジで体を洗うために水を沸かしている。ガスの復旧には二、三週間かかるようだ。
 私は洪水やアパートの火事、いくつかの台風に遭って来たが、この地震は最悪だった。個人でそれに対する準備もできないし、予報も役に立たない。人は安息を求めて、神に祈り神を信じるだけだ。
 「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる」(詩編46・1)
 わたしたちは助かり、キリストの再臨を待っている。それはそんなに遠くない。