普通の日々

    高橋 峰子 四十四歳 自営 神戸市北区


 私は猫のような小動物になって箱ごと揺さぶられているのだろうか、という夢ともつかぬ感覚のなかで、思わずベッドに起き上がる。眠りから直結された現実の中で、地震とも判断のつかぬままに地からの異様な轟きと部屋中の物が落下する音と身のすくむような大きな揺れに、頭から毛布を被り丸くなりながら、何かとんでもない私自身のまちがいか勘ちがいのようで、声をあげることも出来ない。
 一呼吸おいて大声で娘を呼ぶ夫の声に、大地震は現実となった。毛布を被ったまま娘の部屋にたどりつき二人で抱きあう。電気も消えて暗い中、絶え間なく繰り返しやってくる余震のたびに恐怖がつのる。もうこれがゆれもどし、これで終わりと願うのだが、またドーンと余震は終わらず通過せず、いつまでも居すわり私の家に体当たりをくらわせ続ける。
 カーラジオからの情報。そして日の出。電気がついた。ガラス類、食器は割れ、ピアノ、テレビ、冷蔵庫は移動し、落ちるものは全て落ちた。ガラスの刺さったザリザリと音のする布団は丸めて庭に出す。余震に怯えながらもじっとしていられなくて、まずトイレ、次に洗面所、という風にかたづけながら何度も何度も掃除機をかける。指はいつの間にかガラスの切り傷で血が出ている。
 その日の夕刻には町の自販機から水とお茶が売り切れ、コンビニの棚には菓子類のみが残っていた。皆が少しずつ不安をつのらせた。翌日から開店したマーケットは入場制限で一時間待ち。ここでもすぐに食べられるものは売り切れている。それでもジュース、フリカケ、オカシ、ホウレンソウ、セロリ等手当たり次第に両手にさげられるだけ買う。パンも米も無い。
 道路には亀裂が走り、ウインドウは割れ、瓦がずれている。ロープの張ったところやガスの匂いのする道を迂回して通る。風呂にも洗濯機にも水を溜める。テレビからは、刻々増える死者の数、広がる火事、余震のたびの震度情報。
 どうして私がこんな災害に出会ったんだろうという思いから、神戸は、阪神はこれから一体どうなっていくんだろうという思いに変わっていく。不遜に生きてきた人間への警鐘にしては、あまりにもひどすぎる。夜もテレビ、電気はつけたまま服も着たまま非常リュックを側において仮眠する。余震のたびに、あっと飛び起きる。時間と曜日が曖昧になっていく。
 夫は半壊した三宮の事務所を片づける為、お弁当を持って毎日出かけていく。取引先は、全壊のところもあり商売の先行きは不安である。娘の西宮の学校は二月十三日まで休み。通学電車の全開通には半年を要するという。料理はガス漏れの匂いと余震のため、油や火を使う気にはなれない。
 人と人が出会えば朝も昼も夜も地震の話。順番待ちの他人同士が話しはじめる。付き合いの薄い近所の夫同士も話し込む。
 三日後、私は鈴蘭台駅前にある洋品店のシャッターを半分だけ開ける。こんな時に商売なんて申し訳ないという気持ちと、こんな時だからこそ誰かが私の小さな店を必要とするのではないか。それは品物であるかもしれないし、私との会話であるかもしれないと、迷いながらの店の再開は、私の日常へのスタートであった。
 帽子とリュックとパンツの神戸ファッションが始まった。どこへ行くのもこのスタイルである。人々の声は何時もより大きく多弁である。三時間埋まって助けられたと笑いながら話す年配の婦人。長田から来られた方は、家はぺっちゃんこ、なんにもなし、と大きなゼスチャー。頭部の十針もの傷痕を、これだけですんだと見せる男性。松江からのお見舞いの婦人が「さすが関西、みなさん声が大きくて元気ですね」と感心される。
 そうだろうか。本当にそうだろうか。一人一人が自らのテンションを意識して上げている。明日が見えないから元気な振りをして不思議に声高に自分を語る。無理をして元気そうに頑張っている。助けられなかった命への悔い、明日からの生活、そのほか様々に背おっている一人一人の震災の傷はまだ内にこもっている。時が流れていつか心が和らぐだろうか。そうして元気すぎる声を出さなくてすむ「普通の日々」が私達に戻ってくるのだろうか。
 雪が降りはじめている
 震災にであってしまった人々の上に
 そうしてまだ生きてゆく人々の上に
 白いひとひらが といかける
 あした。