地震のない国で

    中島 陽一 三十三歳 日本人学校教師 シンガポール在住


 厚い岩盤の上にあるシンガポール。有史以来地震というものを味わったことのない国。しかし、隣国のインドネシア、フィリピンなど環太平洋諸国をはじめインドでも地震があるため、その被害や対応についてはかなり敏感である。もちろん、五千キロ離れた日本の阪神大震災も大激震となって伝わってきた。シンガポール日本人学校教諭である小生は、主に学校の当日の出来事を中心に地震発生後の様子を追ってみたいと思う。
 一九九五年一月十七日、定例の職員朝会(八時二十分開始)の最後に、校長訓話があった。そして、その最後に、「早朝、日本の淡路島、神戸の辺りでかなり大きな地震があったそうです。詳しくは、情報が入り次第、先生方にもお知らせします」という文言が加わった。一瞬、おやっと思ったが、誰もそう驚かなかった。なぜなら、昨年も東京近郊で地震があったし、北海道沖地震(奥尻島他)も同様の発表があったが、それらは被害が小さかったり、被災地が大都市から離れていたため、大きな被害に結びついていなかったからだ。
 しかし、時間が経つにつれて、様相が一変した。まず、第一報のファックスが「大至急扱」で外務省通信課から大使館を経由して本校にも送られてきた。
 「近畿で直下型大地震、死者七十四名、負傷〇〇名、行方不明〇〇名。十七日午前五時四十六分頃、近畿地方で兵庫県・淡路島を震源とした大きな地震が起き、神戸と同島洲本で震度6(烈震)(略)を記録した」
 たしか、十時三十分ころであったと記憶している。震度6といえば、この二十年間以上、聞いたことのない数値である。貼り出された至急電に三十名以上の教師が群がる。そして彼らが各クラスに伝えていく……。この知らせで児童数二千人、教職員百人の学校全体がパニックに陥ったと言っていい。それは、教師も児童も関西出身のものが相当数いるからである。
 小生の担任する四年某組でも五名の児童(神戸二人、西宮、芦屋、堺)がいる。その後に入った情報も含めて、以下に記す。
 芦屋に、この四月に帰るある児童は、
 「おじいちゃんが箪笥が倒れてきて怪我したって、朝六時半頃電話がかかってきた」
 とその日のうちに伝えてくれた。
 後に、父親と話す機会があったので、付記すると、電話の回線がパンクすると予期して、シンガポールまで電話をかけて、ここから別の親戚の家に電話したと言う。この結果、お互いの安否が確認されたわけで、海外の親戚は絶好の存在であったわけである。西宮の児童は、町内のある知人のおじいちゃんが死んだと知らせてくれた。堺の児童は、揺れが激しかっただけで、被害にはあわなかったと言う。また、神戸の児童は、電話回線が不通になっており、一週間ほど連絡が取れず、後に、祖父が足
 の指を三本骨折したと聞いたと言う。
 死者数は、午後二時三十四分の差し替え電信で、四百三十九名と一挙に増え、不安を募らせた。また、午後から電話がほとんど不通となった。
 日本にいるのと比べて一番の違いは、視覚的な映像の有無である。日本にいれば、もし、地震が起きれば、その瞬間からテレビ放送が逐一状況を知らせてくれるだろう。しかし、小生の場合、その日の夜十時半のニュースまでこの大震災を視覚的に捕らえられなかった。
 しかし、映画さながらのヘリコプターで撮ったとおぼしき火事の映像は、七十二年前の関東大震災か、五十年前の東京大空襲のようで、とても現在の映像には見えなかった。実際に母国の惨状を目の当たりにして、長い一日が終わった。
 翌日以降、暫時教員親類などの安否の確認が取れていった。昨年度まで本校に勤めていた女性教諭は、西宮に住んでいたが、
 「家の中はめちゃくちゃになったけど、(私は)助かった」
 と、知人を通じて、学校に無事を知らせてきた。しかし、七年前まで本校に勤めていた水谷トシ子教諭は、芦屋のマンションの一階の自宅から遺体となって見つかった。もちろん、我々とは全く面識がないが、在職の長い事務職員などに尋ねるとはっきり覚えており、見知らぬこの先輩のご冥福をお祈りした。
 それからの二週間ほどは、まさにこの国のどこを歩いてもこの地震の話題で持ち切りだった。どこの国の人も、親戚や知人はいないかなど、同情の思いを込めた言葉で尋ねてきてくれた。
 しかし一番情けなかったのが、村山首相の国会答弁である。対応が遅れたとの指摘に、
 「なにぶん、早朝の出来事で、こんな大災害は初めてなわけですから…」
 と、全シンガポールに放映された。今度は、別の意味で同情の言葉を受ける羽目になり、何とも歯がゆい思いをした。
 小生は、ふと子供の頃に見た『日本沈没』という映画を思い出した。あの頃でさえ、世界各国が日本を助け渋るというシーンが出てくる。この地震をおごりたかぶる日本人への天罰だと本気で考えている国もあるという。しかし、そんな中、よく世界の国々が救援物資や人的援助をしてくれたと思う。
 なお、学校では、募金を行い、二百四十万円贈らせていただいたことと、地震のない国とはいえ入念に避難訓練を実施したことを付記する。