千百万ルピア

     大下 三郎 五十五歳 会社員 インドネシア在住


 インドネシアに二十七年在住し、高原の街バンドンで比較的のんびりとしながらも、三月の新会社(繊維機械の販売、アフターサービス及びコンサルタント業)設立記念パーティーの準備におわれていた。一月十七日朝、事務所に出勤した私に一枚のFAXが入っていた。それが私にとっての阪神・淡路大震災の始まりだった。
そのFAXは、村田シンガポールからのもので、受信は8・25AM。「今朝、関西にて震度5の地震があった模様ですが、今のところ本社(京都)には電話が通じておりません。電車等もストップしているとの事です。住友銀行の方によると、阪神間の被害は大きいようですが、京都は大丈夫とのこと」。
 あわてて、伊丹市東有岡の留守宅に電話を掛けたが全く通じない。被害の様子は全くわからない。バンドンという町は「バンドン会議」で有名ではあるが、ほかのアジアの発展途上国同様に首都以外は通信状態も良くなく、情報の遅れが目立つ。そんな事もあり、この地域にある繊維関係の日系企業にも情報が入っていなかった。
そうするうちに本社の海外担当者よりFAXが入った。10・30AM発信(現地時間受信8・30AM)。「本日AM5・40、淡路島を震源とした地震が発生し、神戸震度6、京都震度5、神戸地区では高速道路、鉄道の高架部分落下、神戸市内では十カ所以上で火災が発生しております。この地区への電話もつながらない為、直接連絡が現状不可能です。大下さん宅の伊丹は、今のところ大きな被害はない様です。本社(京都)は通常どおり業務を行なっていますが、JRが止まっており、JRを利用している人は出社不可能な状況です。伊丹地区何らかのニュースがあれば連絡致します。余震は震度3が二回、7・30、9・30AMに発生しております」
 家族の事が気になりながら、重要なアポイントがあって電話を掛ける時間もなく、社宅に帰ったのが7・00PM前。七時のインドネシア国営放送のTVニュースで報道があるはずと思いスイッチを入れたら、いきなり地震のニュース。あ然とした。子供のころから見慣れてきた神戸の変わり果てた姿に言葉もなかった。民家やビルや高速道路の高架が倒壊し、赤い火の手があがり爆発音のする映像は戦場そのものであった。死者五百名との報道。
 その夜は、家族の消息が気になりとうとう朝まで眠れなかった。
翌朝、事務所に入った本社からのFAX。「本日になっても日本国内から、近畿地域に電話が掛からない状況がつづいております。現在、火災が最も大きな問題で神戸長田地区の火災はまだ続いている。この地震による死者は二千人をオーバーすると思われます。7・00現在、千八百名の死者が出ています。伊丹地区ではそれ程死者は出ていない様子。ただ神戸の被害が大きすぎる為に、他の地区のニュースが少ないのが現状です」。
 8・30AM、電話相変わらず不通。9・00に配達されたシンガポール発行の朝日新聞の国際衛星版をみて、その被害の大きさに愕然とする。
バンドン駐在の東レ、帝人、住商など大企業の駐在員には本社より昨日の午後、阪神間に留守宅のある者は一時帰国せよとの指示があり、あわてて帰国したとの事。ジャカルタの日本大使館からは全く連絡なし。一九七四年、田中首相訪問時の反日暴動、八六年のジャカルタ(日本赤軍)事件など、これまで何度か非常事態があった時も同様であったが、何の為、誰の為の大使館かと言いたくなる。バンドン日本人会から新聞の切り抜きがFAXされてきた。
 10・00AM。やっと留守宅との電話が継ながった。家族は妻と娘の二人であるが、二人共倒れたタンスの下敷になり脱出に二時間かかったとの事。部屋はあらゆる物が倒れ、ガラス類はコナゴナで足の踏み場もない程だったらしい。午後四時ごろ京都本社より社員二人が応援に来てくれ、冷蔵庫、タンス等を起こしてくれたが、水道、ガス、電気は三日間不通。知人の商社員が水や食料品等の差し入れをしてくれ、なんとか生活できたらしい。
 しかし、現地では地震による二次災害に悩まされた。神戸港の倉庫にあったインドネシア向け機械は、神戸港及び周辺の倉庫が立入禁止のため、機械の状況確認ができず、また、SGS(スイスの検査機関)の輸出検査もできぬ為、船積が遅れ納期が約束より大幅に遅れる事となった。お客に説明しに訪問したが、あまり長く遅らす事もできず、いまだに五億円あまりの機械の出荷が止まっている。幸いお客が今回の事情を理解してくれ、最悪のキャンセルだけはなくなった。
 日系合弁企業の多くは主要原料や部品を日本から輸入しているが、神戸港が使えないので、繊維のA社、家電のM社、自動車のT社とS社が、一時的に工場の生産がストップしたらしい。インドネシア経済にも大きな影響を与えた。
 一月二十二日、地震による現地での対応も一応一段落したので、駐在員規定にある災害時の一時帰国の項を利用し、帰国した。その前日、現地社員(二十五名)の代表が、社員からのカンパと云う事で義援金千百万ルピア持って来てくれた。日本円にして約五十万円である。最低賃金一日四千三百ルピア(約百九十五円)の千百万ルピアである。国は違っても、貧しいと云われる国の人情がこれであるのに、日本大使館はどうなっているのだ。いろんな体験をした阪神・淡路大震災であった。