国境を越えた心の痛み

     田頭 麻樹子 三十六歳 国連職員 ニューヨーク在住


 その日、一月十六日夕方五時頃、ロシア人の同僚がBBCのニュースで、神戸でM7・2の地震があったと知らせてくれた。気になりつつ家に帰ると、友人よりのメッセージが四つ。CNNニュースを見て、私の家族の安否を気づかっての事だった。テレビのスイッチを入れると、目に壮絶な光景が飛び込んで来た。
 「まさか、神戸が!」私は絶句した。どのシーンも私の馴染みの深い場所である。「家族は無事だろうか?」。とっさに実家のダイアルを回したが、何度かけても不通である。
 それならば、と友人、知人に片っ端から電話をした。何らかの情報をとの思いも空しく、どれも不通。やっと東京の伯母と話が出来た。何か連絡があれば知らせて欲しいと頼んで電話を切った。その後、東京へも回線はつながらなくなった。
 心配しても、こんな遠くからでは現場に駆け付けることも、被害状況を詳しく知ることも出来ない。家族に万一のことがあったら、と胸の動悸が早くなる。ニューヨークでも夜のCBS、ABC、NBCのニュースが、トップニュースで神戸の状況を伝えてくる。
 どのアナウンサーも興奮を隠し切れない様子である。ロスの地震より丁度一年目で、特集番組を用意していたこと、又、近代都市を直撃した直下型地震であったこと、想像を絶する被害であったこと、耐震性は世界の最高水準であると自負していた日本の建造物があっけなく崩れたこと等、様々な理由があろうが、自然をコントロールしたかに見えた人間の自負と驕りが崩れたことによるショックであろう。
 「何とかならないか」「これだけの技術力がありながら、何とか燃えさかる火を消せないのか!?」。これがテレビの映像を目にした者が誰しも感じた気持ちである。
 関東大震災の時とは違い、技術は飛躍的に進歩し、通信は世界中に張りめぐらされ、今、神戸で起こっていることはほとんどオン・タイムで画面に映し出されるのに、である。また、それ故、一層、対応の遅れに苛立ちも募る。こんな時こそ、的確なる情報をいち早く掴み、分析し、即座に対応する政府を期待するのである。しかも、地震国であり、いつ大型地震が起きても不思議ではない国が、非常時のシナリオを用意していないはずがない。それがあるならば、何故その通りに動かないのか。家族の安否が分からないまま、遠い外国から私は声にならない思いを噛みしめた。
 幸いその夜、明け方近く、東京の親戚を通じて家族全員の無事を、そして家は崩壊寸前であることを知った。
 家族と直接電話で話が出来るまで一週間かかった。家族は避難所にいて公衆電話しか使えず、どこにも長蛇の列ができていたからである。その間、こちらで手に入る限りの情報を手に入れた。幸いマンハッタンには日本の本屋がある。他州にいる友人がパソコン通信を通じてかなり詳細な情報を送ってくれた。職場では私が神戸出身と知ると、皆、真顔になって家族の安否を気遣い、被災地の人々の事を心配してくれた。
 アメリカでは間髪を入れず募金が行われ、多くの人達がこの震災に高い関心を寄せていた。特にロス地震の時に起こった暴動を生々しく覚えていて、今度の震災で日本人が極限状態の中でも節度ある行動を取った事に深く感銘を受けていた。
 遠い日本での大災害にこれ程までの関心と温かい励ましを受けるとは思ってもいなかった。そこには国境、国籍を越え、一人の人間として心の痛みを分かち合う姿勢があった。
 日本人は今まで、他国で起こった悲劇に、これ程親身になって接してきただろうか? ボスニアやルワンダ、チェチェンでの悲劇はどれ程のインパクトを与えたのか、と自問した。
 世界中の人々が、被災地救援の為に何か出来ることはないかと思ったに違いない。実際、各国から救援の申し出があった。身近にその好意を感じていただけに、政府がその対応に遅れがちであったことは大変残念であった。
 震災一カ月後に一時帰国した。すっかり変わり果てた我が町、我が家を見て、想像以上の惨状に心が痛んだ。家族と再会。何か非常に長い間、会っていなかった様な気がする。
 皆、思っていたよりずっと元気そうである。この一カ月間の心配がすっと消えていった。
 砂塵が舞い、奇妙な静けさの中を、リュックに、運動靴姿の人々が無言で行き交う。その人々の表情に、何とも言えない爽やかなものを見た時、この町はきっと復興する、と私は確信した。