情は人のためならず

  ピーター・マクミラン 三十五歳 大学教授 八王子市(アイルランド)


 これまでボランティアの仕事をすることについて、心のどこかに抵抗感があった。それは誰か他の人のやることだ、といつも考えていた。だが、「ニュースステーション」で死者の長いリストが読み上げられるのを見た時、私は突然神戸へ行く気持ちに駆り立てられた。
 紹介されたボランティアの組織に到着するとすぐ、私は米、医療、食料、ガスボンベなどを詰め込んだリュックサックを担ぎ、医師や看護婦、ほかの運搬者たちやガイドと一緒に出かけた。
 私たちはある地域を徒歩で巡回し、避難所以外で生活する人たちの状況を調査し、その人たちが必要とする物を運ぶ任務を与えられた。その人たちには、水もトイレも着替えも風呂にはいる術もなく、温かな食事もほとんどなかった。青いビニールシートのテントに住んでいる人々もいた。テレビ報道とは裏腹に、地震後の多くの路上生活者の生活は極めて絶望的だった。
 私たちは彼らと話すうち、その惨劇をつぶさに知ることができた。ある女性は夫を崩壊した家から引きずり出した。話しながら、私は目の高さまで崩れた彼女の家の二階を調査することができた。壁は完全にはがれ落ちていたが、室内はまずまず無傷で、地震前の彼女の生活が想像できた。
 しかし、本当にショックを受けたのは、多くの人たちが自分たちの状況がいかに劣悪かを把握していないことであった。ある女性に翌日何を届けようかと尋ねた時、彼女は必要な物は全部ありますと答えた。彼女が話すことと、そのみすぼらしい様子や、周りの倒壊して無価値になった建物、その一部の建材を燃やした小さな焚火で自分と母親のためにさつまいもを一つ夕食用に焼いているという現実の際立った対照を忘れられない。
 将来の大きな課題は、被災者を心理的な面でも助け、被災者に自信を回復させるための援助を行うことであると感じた。
 ボランティアにとって、余りに大きな苦悩や破壊の証人となるのは、精神的に負担となる。
 私たちのグループに、中国系のアメリカ人がいた。彼は休暇で日本に立ち寄ったのだが、友人に連れられて神戸に救援に来ていた。彼は男の中で一番大きく、一日中大きな荷物を担ぎ、苦情を一切言わなかった。
 私はこれが彼の日本における唯一の経験になるのを少々気の毒に思い、彼の持っているカメラで記念写真を撮ろうかと申し出た。しかし私が焦点を合わせようとした時、視界の中の顔がどれも同じに見えたのには驚いた。鏡のように、彼らの苦悩と痛みの表情が、自分自身をのぞいているような奇妙な気がした。
 ボランティアが他のボランティアに勇気付けられることもある。夜になると私たちは新しく到着した品物を運び込むのに列を作る。重い米袋やオレンジの箱、中古の蒲団などを手渡す時、皆のペースについて行くためにはあるリズムを習得しなければならない。このわずかな時間の間に、私のリズムは皆のリズムに溶け込んで調和して行くのを感じた。
 日本に長く住んでいると「他人」と「身内」を区別して暮らすようになる。たぶんこのために私は今まで自分と関係のない人を助けようとしなかったのだろう。
 震災は、私が他人とのつながりによって生きているという現実を自覚させた。そしてボランティア活動を通じて、人を助けるのは現実には自分を助けているのだと改めて学んだ。
 日本人もまた「他人」と「身内」の区別は人為的なものであり、私たちは現実にはお互いが依存し合っていると気付いたはずだ。
 私たちは神戸の人々や将来のこのような災害の被災者を救援する現実的な方法のために、以前よりもっと協力し合えるのではなかろうか。
 この地震から私たちが、大災害においては、被災者とそれを助ける人々の二つのグループしかないとだけ学んだとすれば、命を失った多くの不幸な方々の霊は、慰められないだろう。