おにぎり

      北川 真紀 二十歳 大学二年 神戸市長田区


 一月十七日、ドーンという音で目が覚めた。その後しばらく激しく揺れた。部屋の電気が下に落ちている。飾っていた人形が飛び散っている。
 窓からは、五、六カ所で火が見える。あちこちで火事になっていた。七時ごろ、明るくなってきてやっと大きな地震であったことを知った。冷蔵庫が倒れ、テレビが飛び、柱も曲がり、床も抜け、玄関、ふろ場は前の家が倒れ込んできてなくなってしまった。
 家から出られない。靴を探し、二階の窓から前の倒れ込んだ家の屋根をつたって外まで出た。家族七人、そして隣家の独り暮らしの男の子一人の合わせて八人で、県立兵庫高校へ向かった。柔道場がすでに満員だったので体育館に場所を確保した。
 道路は盛り上がったり、陥没したりしていた。また、家が道路に倒れ込んでいて車が混雑していた。そのため原付で移動する人が多かった。信号機も折れ曲がったりしており、
 停電してますます渋滞していた。
 夜になると、真っ暗なのでろうそくを持って歩く人が何人かいたが、余震の恐れから、
 「消せ」
 とどなられていた。また、体育館では、何度も何度も、
 「〇〇さんいますか」
 という声が夜遅くまで響いていた。
 夜、須磨に住んでいる彼氏がおにぎりをたくさん持ってきてくれた。これが今日初めての食事だ。
 一月十八日 甲南大学のことが心配で、公衆電話に並んで電話をしたがつながらない。電気がついた。給水車が来た。給水車の後ろには長蛇の列ができていた。しかし途中で打ち切られたので 「水をくれ」
 と怒鳴っている人がいた。トイレは大変汚れてきた。外で大便をする人さえでてきた。
 一月十九日 仮設トイレが五つほど設置された。救援物資が来た。サランラップにまかれた真っ白のおにぎりを一人二つずつボランティアが配ってくれた。彼氏もお茶とおにぎりを持って来てくれた。彼としゃべっているとテレビ局が来て、テレビに出てあなたの安全を伝えませんかと言われ、出ることにした。
 一月二十日 鈴蘭台に住んでいる親戚の家へお風呂に入りに行った。地震後初めてお風呂に入った。着ていたものを洗濯させてもらい、それを車の中に干した。兵庫高校に戻ってくると仮設電話が設けられていた。すごい行列だ。
 一月二十一日 隣家の男の子の両親が和歌山から迎えに来た。また、夜遅く、母と弟(小三)と妹(小二)が、母の実家である和歌山へ、有馬の方から電車に乗って一時避難しに行った。受験を控えている弟(高三)は大阪へ、受験が終わるまでお世話になることになった。父と私、そして弟(高二)のみが体育館に残った。
 一月二十二日 信号機が作動していた。高校二年生の弟が、サランラップで包んだおにぎりは誰が包んだか分からないので気持ちが悪いと言い出した。これしかないのだから仕方ないのに。温かい物が食べたい。
 一月二十四日 「自分だけが被災者やと思うな」と彼氏に怒られた。「死んだ人のことを考えたら、お前はそんなに不幸じゃない」と言われた。
 一月二十六日 今まで雑音ばかりだった仮設電話が新しいものに変わった。台数も十台ほどになり便利になった。
 一月二十七日 まだ水が出ない。最近は毎日のように給水車が来るようになったが沸騰させてから飲んだ方がよいと言われ、もらう水は、歯を磨いたり、顔を洗うのに用いている。
 一月三十一日 父が区役所へ家の解体を申し込みに行った。
 二月一日 私の誕生日。母が和歌山から弟と妹からのプレゼントとケーキを持って来てくれた。友人たちも来てくれた。
 二月八日 だんだんプライバシーに関することが気になってきた。周りの声が気になったり、一晩中、体育館の明かりがついているため、夜になってもうるさくてなかなか眠れない。
 二月十一日 今日から一週間、私だけ田舎へ行って弟と妹の面倒を見ることになった。代わりに母が帰ってきて家の片付けをする。
 二月十九日 受験を終えた弟が大阪から戻ってきた。避難所の班分けをした。私たちは、体育館二階二班である。夜の弁当、朝のパンは班ごとに取りに行くことになった。仮設シャワーもついた。仮設風呂は前からあったが、白浜温泉から湯を運んでくれているそうだ。最近やっと水が出るようになったが洗濯はできない。
 三月一日 気晴らしにと、彼氏が兵庫港に連れて行ってくれた。岸壁が崩れ、砂で埋められている所もあった。以前とは似ても似つかぬ姿だ。
 三月二日 雲雀ケ丘の住宅が当たった。もうすぐここから抜け出せる。夜、体育館で、おばさん二人が大声で怒鳴り合っていた。うるさくて眠れない。
 三月三日 今日はひな祭りなので、廊下のあちこちに紙で作られたおひな様が貼られていた。どこかの小学校で作ったものらしい。
 三月五日 親戚たちが大勢集まって引っ越しをした。衣類は二階の窓から出し、家具はロープでしばって一階から出し、前の倒れた屋根の上に引っ張り上げた。しかし、大きな家具など、まだまだ出せない物がある。
 三月六日 今日から雲雀ケ丘で暮らすことになった。しかし四畳半と六畳の2Kである。家族七人は住めない。小学生の弟と妹はまだ和歌山の学校の授業が終わっていないので、春休みまで母と和歌山にいることになった。高校二年生の弟は、兵庫高校の体育館から夢野台高校へ通っている。しかし、やっと人間らしい暮らしができるようになった。
 一日も早く、家族七人そろって、ご飯を食べられる日が来てほしい。