悪夢の初日

     キエルト・ドウイツ 三十五歳 学校理事長(ドイツ)


 それは目を覚ますには、最も不愉快な方法だった。思いもつかない雷のような音と激しい振動。私はおびえていた。私は布団にくるまり、頭をカバーで隠した。真っ暗だった。すべての明かりは消え、揺れと騒音は永遠に続くかと思えた。
 それらが収まるとすぐ、私はコートをつかんでなんとか一階に下り、外へ出た。私は二階建てのテラスハウスに住んでいる。パジャマだけでは凍りつくように寒かったが、ずっと後になるまでコートを持っていたのに気づかなかった。外は静寂だった。電気は自動的に切れており、暗闇だった。
 ゆっくりと、周囲の家の様子が見えてきた。近所の誰かがろうそくを持ってきた。突然ガスの匂いがした。そのきつい匂いが私に恐怖を起こさせ、我に返った。私は慌てて自分の家の窓とドアを閉め、人々にも外に出るようにと告げた。隣人たちと周りの家々のガスの元栓を閉めて回った。ガスの匂いは、二、三日残り、間もなく周囲の焼けた家の匂いと混じっていった。
 私は娘と前妻が気になったので、バイクに乗った。朝日が差し始めていた。いたるところに、半壊や全壊の家が見える。道はショックを受けた人々で一杯だ。道路は紙のように引きちぎられ、水が噴き出ている。街角を曲がったところの家が激しく燃えている。
 私が娘の家に着くと、彼女は私の腕に飛び込み、声を出さずに泣き始めた。地震が襲った時、彼女はちょうど手洗いに入ったところだったそうだ。
 次に私は、女友達の家に向かった。近付くにつれ、強い恐怖が襲ってきた。この辺りの建物は瓦礫になっている。六階建てのコンクリートの建物が道路をふさいでいる。だが女友達の建物はまだ建っていた。彼女と妹は無事だった。
 家に帰って、私は裏の家の人が壊れた家の下に埋まっていると聞いた。約六名の男たちが、瓦礫の上ですでに掘っていた。庭の植えこみに二人の女性が立ち、彼女たちは泣いていた。すき間越しに私たちは埋まっている婦人の顔を見、話すこともできた。
 私たちは壊れた家の材木を引きはがし続けた。壊れた屋根がわらの破片を、慌ただしく素手で取りのけた。誰かが電気のこぎりを持って現れた。ラジオは死者二百人と告げていたが、奇跡的にこの婦人は無傷で生還した。しかし二時間後には彼女とその息子は、ショックでベンチに座り込んでいた。彼女のご主人は、ピアノと二階に押しつぶされていたのだ。
 ラジオは今や死者五百人と告げている。これは大災害だと私たちにも分かり始めた。私は、この大災害をカメラで記録しようと決めた。自宅は手がつけられないくらい混乱し、カメラを見つけられなかったので、私の事務所に出かけた。
 空気はサイレンとヘリコプターの騒音で満ち、焼けた家の刺すような匂いが私の喉を刺激する。近くでアパートが燃え始めた。一階に人が閉じ込められたまま壊れている。破れた窓から濃い灰色の煙が吹き出ている。その方向には壊れた家が並んでいる。一団の人々が猛烈な勢いで掘っている。突然寝巻き姿の女性が私の方にやって来た。彼女の髪は乱れ、目は取り乱していた。彼女は私の衣服をつかみ、
 「私を助けて」
 と叫んだ。
 ラジオは死者六百人、行方不明者六百人と告げ、やがて死者七百人、行方不明者八百人と告げた。数字は連続して増えていく。百人単位で跳ね上がる。非常にゆっくりと、恐怖が私に忍び込んでくる。しかし、私は写真を撮り続けた。
 私は別の友人のアパートまでバイクで出かけた。危なっかしく傾いたその建物の入口に着くと、建物の中はすべて燃え落ちていた。青い炎が破れたガスパイプから吐き出されていた。
 たった一人の消防士が機材を片づけていた。彼は私に住民が芦屋市民ホールと精道小学校へ避難したと告げた。市民ホールは人でぎっしり一杯だった。私は全部の顔を探し回ったが、友人を見つけることはできなかった。
 市民ホールを横切ったところにある精道小学校で、私は教室を一つ一つ動き、何百人もの疲れ切った顔を入念に当たった。だれもが何が彼らに起こったのかをまだ理解できていないように見えた。彼らは放心し、まいっている様子だった。しかしここにも友人はいなかったので、私は自分自身に彼女はだいじょうぶに違いないと納得させた。
 帰宅したが一人で夜を過ごすのに耐えられなかったので、私は隣人に彼らと共に過ごさせてくれるよう頼んだ。私たちは、その夜すべての隣人たちがしたように、明かりをつけたままリビングルームで寝ることにした。布団に服とコートを着たままで横たわり勇敢にも眠ろうとしたが、さっぱりだめだった。私たちの体には警戒警報が耐えず鳴り響いていた。その夜を通じて、何度も余震があった。そのたびごとに私たちはドアへ走った。夜のしじまに、サイレンの音が鳴り響いていた。
 悪夢の初日が過ぎようとしていた。