紙と鉛筆

       濱岡 きみ子 七十二歳 津名郡一宮町


 「うわあ、えらいこっちゃ、地震じゃ」。
 体がドーンと突き上げられたと思ったら急にどうにも身動きができなくなった。辺りが暗くて何がなにやら分からない。ガタガタガタ、闇をつんざく音と共にドサッ、ドサッ、どこかの壁が抜け落ちたようだ。
 家のきしむ音と共に冷たい風が入り込んでくる。ガタガタ、ドン。その時初めて死ぬかも、という思いが私の頭の中をかけ抜けた。時間にして僅か数秒の間だと思うが、数々の思い出がすごい速さで頭の中をかけていく。とたんに頭の中が真っ白になった。ただ夢中で布団を握りしめている自分に気がついた。
 カーテンの間からの薄明かりに箪笥が布団の上に倒れてきているのが分かった。ようようにして体が抜けた私は、寝具の下敷きになっている次男を助け出した。電灯が消えていたが部屋の中が分かるようになってくると、自分でも驚く程落ち着いてきていた。家の外では近所の方が出てきているのか大声で話しているのが聞こえてくる。その間にも余震が続き、その度に心臓がドキッドキッと高鳴り、その場にしゃがみこむ。
 「薬局がつぶれて屋根が地べたに這うてる」
 「新聞配りの人が塀の下敷きで亡くなったぞ」
 「道路もどこもかも倒れた瓦でいっぱいや」
 死者が増え誰と誰、あそこはご夫婦でという声に、私は耳を押さえて声の聞こえない家の奥の方へ走った。
 普通の地震でないことだけはようやく分かってきた。どの部屋も足の踏み場もないくらい物が倒れ、ガラスなどの破片が散乱していた。障子が敷居よりはずれ飛んでいる所、戸障子が斜めになって動かなかったり破損しているのが目につく。だが家は倒れずに立っている。
 時間をどのように過ごしたか、はっきりしないが鉛筆と紙を持っていたことは覚えている。だが、どういうわけか字を忘れたりして見たまま記したらよいのに、それがまとまらない。
 どうしたことであろうか、と不思議に思ったり恐ろしくなったり、それで地震を忘れることを考えなければならないと思った。だが一歩外へ出ると倒壊家屋が目につくためどうしようもなかった。
 今まで私は郷土の歴史や伝承文化を調べるのが好きで、島内踏査を続けていた。だが地震のことは皆無に等しかった。十七日の夕方、
 「北淡の常隆寺山の麓に地震の元があって何百年か前に、ごっつい地震があったんや」
 と、九十五歳ぐらいの人が小学生のころに担任の先生から聞かされたという話をしてくれた。常隆寺山の裾とは、後で分かった震源地、野
 島断層のある辺りである。まだ学者が発表していない時に聞いただけに強烈なものであった。
 「そうだ、こういう伝承など聞いて廻らなければならない。被害の状況も今記さねば……」
 自分の目と耳で確かめて廻らなければならないと思うと、急に元気が漲ってきた。特に神社・仏閣の倒壊、損傷が目についた。仏像、神輿、「だんじり」なども被害を受けていた。総代さん方も自分の家の片付けに追われそれどころではなかった。無住の庵、諸堂も多く小さいだけに被害も大きいものがあった。
 昼間は調べて歩き、夜はまとめて清書をした。同じ淡路島でも南部に行く程被害は少なく一月十七日午後、公民館講座を開催できている町もあった。北部では二カ月過ぎた現在でも仮設住宅の設置に、夜を日についで追われているなどその差は大きい。
 北部の山間地では井戸水使用で簡易水道を引いていない。この度の地震で水脈が変わり井戸水が出なくなった。通称「谷山のぬるい温泉」ですら涌き水がピタッと止まってしまった。
 「まあ聞いておくれ、川の底に蟻がはい廻っとんのや。地震から二、三日してからな」
 生活用水に事欠いているとは思えないおばあさんのお話であった。
 山間地では多くの牛を飼育しているが、牛の飲む水には何トンという量が必要である。そのため牛を手離す家もある。松帆の浦、江崎方面では反対に谷あいの小川に水が音を立てて流れるようになった。
 開鏡の山あいの家ではネズミがいなくなったという。地震の日から仏檀にお供えしたご飯がなくならないのだ。それまではお昼ごろ下げにいくと、ご飯が全部なくなっていた。五色町広石の農協倉庫にネズミがいて困っていた。ところが倉庫の隣の家では地震から仏檀にお供えしたご飯がなくなりだした、と。
 やはり一番心がいたむのは倒壊家屋の下敷きになった方々のことである。最後の力を振りしぼって助けを求める声、知っている方だけに忘れられない。幸い助けられた方々の証言も息がつまりそうな思いで聞いた。
 ため池の損壊、水田の亀裂、段差など、すぐには修復できないものである。人心が落ち着いてくるほどに荷が重くのしかかってくる。
 淡路の地誌にも仁和三年(八八七)、北淡路に大地震があって小島が水没したとある。また天正十三年(一五八五)、慶長元年(一五九六)、慶安元年(一六四八)、宝永四年(一七〇七)にもそれぞれ淡路に大地震があったと記録にある。
 その度毎に私達のご先祖が助け合い力を合わせて復興に力を注いでこられた。今と比較できない苦しさをのり越えられた。絶対私達も地震に負けてはならない。人間の底力は計り知れないものがある。私でもあの大きい箪笥を一人で取りのけることができたのだ。
 今私は調査と記録に全力を傾けている。