ミニカー

     西川 靖子 三十四歳 主婦 西宮市


 一月十七日、私は朝五時に起きてワープロを打っていた。突然、ワープロの電源が飛んだと思ったとたん、凄い揺れ。瞬間に寝ている子どもの所に飛んでいき、頭から布団を被せ、その上に覆いかぶさった。幸い寝室には大きな被害はなかった。停電で真っ暗な中、夫が懐中電灯とラジオを捜してきた。
 わが家は高層の団地の九階にある。夫が、
 「とにかく下に降りろ」
 と、言った。
 「電気が戻ると、ガス漏れによる爆発の危険がある。とにかく電気が戻るまで、車の中にいよう」
 と言う言葉に、六歳と二歳の子どもを抱え、階段を降りて地上に出た。
 地上に降りた瞬間、余りのことに足がすくんだ。建物の前の道路が陥没し、五十センチほどの段差が出来ている。水道管がはずれ、溢れ出た水と液状化現象で、そこら中ぐちゃぐちゃだ。子どもを抱え、やっとのことで家の前にある駐車場の車へとたどり着いた。
 駐車場の敷地は広いので、もしどこかの家でガス爆発が起こっても大丈夫だろう。持ってきた毛布にくるまりながら、ラジオを聞いた。震源地は淡路島、震度6の地震だという情報が流れていた。とりあえず家から持ち出してきたパンとジュースで朝食をとりながら、明るくなるのを待った。
 七時になって、ようやく電気が通じた。漏電による火災や、ガス漏れによる爆発はなかった。車を出て、家へと戻った。エレベーターは使えない。九階まで階段で上がった。所々、窓ガラスが割れている。
 普段は九階という高さには慣れっこになっていて、地上から隔絶された空間だと思うことはなかった。けれどもエレベーターが止まったとたん、九階という高さを思い知らされた。もしまた同じ規模の地震がきたら、二人の子どもを抱え逃げられるのだろうか?
 家に戻ってみると、食器は散乱し、本棚、子ども用のタンスとレンジ台が倒れていた。棚の上から物が落ち、散らばっている。割れた食器を片付け、レンジ台を起こした。レンジ台の下で一升瓶が割れていた。こぼれている酒を新聞紙で吸い取り、一升瓶のかけらを拾った。取りあえず、危険な物だけを片付けて、そのまま布団に倒れこんだ。悪夢の中にいるようで、疲れ果てていた。
 そのまましばらく、うたた寝をしていると玄関を叩く音がした。出てみると宝塚に住む父だった。私たちの安否を確かめに、実家から西宮の浜にあるわが家まで、自転車で来たという。
 全員無事な顔を見ると、ホッとしていた。母が心配していると言うので、電話をかけてみたが、つながらなかった。父はまた自転車で帰ると言うので、車で送った。
 車で街を走って、驚いた。そこら中、地割れがあって、液状化している。段差も凄い。武庫川の西岸を北へと向かった。JRの武庫川にかかる鉄橋の上に、電車が二本止まったままになっていた。いつもなら三十分で着く距離なのだが、道路の状態が悪く、徐行運転しか出来ない。道路はまだ混んではいなかったが、実家まで一時間かかった。
 実家についてみると、玄関の戸が歪んで戸が閉まらない。窓のサッシも少し歪んでいるので鍵が掛からない。けれども水道は止まっていなかった。子どもを抱え、水道もガスもエレベーターも使えないわが家に戻るよりは実家にいたほうがいいだろうということで、しばらく実家に厄介になることにした。
 二歳の次男が、夜泣きを始めた。一晩に三回程、むっくりと起き上がって泣く。彼は地震の時に目を覚まし、とっさに傍にあったミニカーを掴んだ。そのミニカーが離せない。ミニカーが自分の手元から離れるとパニックになって泣き叫ぶ。そんな状態が一カ月ほど続いた。
 一月いっぱい実家で過ごした。二月になって長男の幼稚園が、再開したので、家に戻った。家に戻ったとたん、次男が
 「ばあちゃんちに帰る」
 と、三十分泣きつづけた。彼の中に、震災の恐怖が残っているのだろう。
 水道はまだ復旧していなかった。半月ほど水を汲みにいかなければならない生活が続いた。お風呂に入れないので、実家にお風呂を借りにいく。実家までの道のりは、阪神電車、国道43号線、JR、阪急電車、山陽新幹線と、五つの高架をくぐらなければならない。地震でダメージを受けた高架橋の工事のために、毎日のように通行止めの箇所が変わる。昨日は通れた道が、今日は通れない。そして通行止めの箇所が変わるたびに、道の混む場所も変わる。お風呂を借りにいくのも、大変だった。
 二月十四日、ようやく水道が復旧した。
 ほっとする間もなく、今度は倒壊家屋の野焼きの煙に苦しめられている。わが家のある武庫川団地は、野焼きをしている甲子園浜と尼崎のファミリーパークに挟まれている。
 毎日喉の痛みと、咳に悩まされ続けている。子どもへの影響も心配だ。復旧は急がなければいけない。しかし、人体に影響がある野焼きを続けることには、疑問を感じる。
 三月四日の朝日新聞によると、県が野焼きの中止を各市に通知した。中止を決めたのは、宝塚市だけだ。他市は反発しているという。
 震災から約二カ月。まだ、復興は遠い。