「空襲の方が恐い

      大竹 美音 四十一歳 主婦 明石市


 その日、カタカタカタと風が雨戸をたたく音で目が覚めた。直ぐ様、ゴォーッという不気味な音が聞こえたかと思うと、ぐいっと突き上げられ、そのままどーんと落とされた。今度は大きく横にひっぱられること数回。もう終わるかと思うがなかなかおさまらない。
 「何っ、これっ。やめて、やめてえ」
 と叫んでいた。
 頭から蒲団をかぶって身構えるだけで精一杯。廊下のつきあたりで寝ている子供が気になり、大声で呼ぶ。
 「愛ちゃーん、華奈ちゃーん。ベッドの下」
 主人は、身を翻し、隣に寝ている末っ子のあらたに覆いかぶさっていた。親どりが雛を抱くように、蒲団という翼を広げて守っていた。胸の中であらたは、
 「怖いよう」
 と怯えて泣くばかりだった。
 豆球だけつけていた電灯の笠が天井にぶつかりながら大きく二、三回波打ち、片方のチェーンが外れると同時に火花が散ってパチーンと電気が切れた。停電。ガッチャーン。ドーン。バサバサッ。真っ暗闇の中、頭上から、何やら物が落ちてくる。見えないことほど、恐ろしいものはない。
 一瞬、「空襲」という言葉が頭の中をよぎる。あまりの恐怖心に、とんでもないことを考えたりする。空襲なんてテレビでしか見たことがないのに。その恐ろしさだけは両親から教えてもらったことはあるが。
 今まで体験したことのない大きな揺れ。その長かったこと。揺れが収まって、子供たちにもう一度声をかけ、無事を確かめ、こちらから行くまで動かないようにと言う。主人が急いで雨戸を開ける。だが、まだ夜明け前であたりは暗い。しまった。懐中電灯は一階にある。こんなときどうすればいいのだろう。
 するとタイミングよく、母が階下から落ち着いた口調で、
 「みんな大丈夫か。けがはないか」
 と、上がってきた。そのいでたちには驚いた。仏壇のローソクに明かりをともし、お風呂用のママブーツを履いていた。階段は観葉植物が鉢ごと倒れ、泥まみれになり、家の中はとても素足では歩けない状態なのであった。
 一階の父も無事と聞き、ほっと胸を撫で下ろすのもつかの間、部屋から廊下まで、どこもかしこも散乱した光景が目に飛び込んできた。冷蔵庫の扉は開き、中身が飛び出し、その上に、旧型重量級のオーブンレンジが床に転
 がっている。食器は全部、瓦礫と化してしまっていた。本棚は勿論のこと、割れたガラスと本が一緒になり、床に散らばっていた。
 レールにはまっているはずの押し入れの引き違い戸も倒れて、椅子でかろうじて止まっていた。天袋の戸まで、考えられない場所に飛ばされている。これらの角が頭にでも当たっていたらと思うと、ぞっとする。
 いや、明るくなってから、もっとぞっとした。それは、三面鏡が主人の寝ていた蒲団の上にそのままバタッと倒れていたことだった。あの重い三面鏡の下敷きになっていたら、どうなっていただろう。主人が真っ先に子供をかばうため、とっさに身をかわしたことで、危機一髪で助かる結果になった。家族全員けがもなく、家も無事に助かったことが何よりの喜びであった。
 が、それからは不便な日々。四十年程前にタイムスリップした生活だった。全く経験がなく、お手上げの状態の私にとって、父母は貴重な存在であった。
 というのは、揺れが収まって即、浴槽に水を溜め始めたり、燃料の確保に走り回ったりしてくれた。そして、水を大事に使う方法、洗濯の仕方から食器の洗い方、その他日常の暮らし方まで、生活の知恵を教わったからだ。
 感謝と共に、一つ母に質問してみた。
 「ねえ、地震と空襲、どっちが怖かった?」
 「空襲よ。地震は揺れておわるけど、空襲は今助かってもまた次、いつ来るかもわかれへん。戦争が終わらん限り、空襲は続くんや」
 と言った母は、戦争の深い傷をまた呼び起こしたようであった。
 こんな非常事態でも冷静でいる母。母をささえている気力とは一体何なんだろう。あの戦争の最中を生き抜いてきた強さであろうか。
 死に直面した恐怖感と、物がなく不自由であった苦い経験が、生きていくことに対するパワーとなり、エネルギーとなって発散しているかのように思える。
 今回の震災で、家財道具は壊れてしまったけれど、今まで気付かなかった幸せや、当たり前のことにも改めて感謝する気持ちを得ることができた。幸福感の原点を知る意味でも、この経験を後世に語りついでいきたい。
 そして、被災した誰もが精神的にも傷つき、苦い経験を味わったが、それを復興にかけるバネにして、一日も早く立直れるように祈りたい。