家がトラックに乗っている

      木村恭子 二十七歳 看護婦 東京都練馬区


 医療ボランティアとして、三月初めに淡路島の一宮町へ行きました。テレビ、新聞でメンタルなケアが必要な時期、と聞いていましたので、直前に『喪失体験の克服』という勉強会に参加しました
 私たちの仕事は、朝夕の避難所の巡回でした。日中は看護婦のみで回り、話し相手になったり、入浴の介助を行なったりしました。昼の避難所は、老人、障害児、精神病の人が多く、なかでも、足の不自由な老人が、毎日同じ場所で、同じ服を着て、何もしゃべらずに座っていたり、横になっていたりする姿が目につきました。
 話をすると
 「家が気になる。荷物を出してない」とのこと。
 もう、震災から一カ月以上もたつのに驚きでした。
 避難所の入口には、多くのボランティア情報、仮設住宅の情報、励ましの手紙などが貼ってあります。目の悪い老人や足の不自由な人には、情報が入って
 こないようでした。いつもポツンと避難所に座っている老人たちを見て、「弱い者は取り残されていく」と感じました。
 多くのボランティアが入って活動していますが、一番弱い人たちまでは届かないのか。
 復興の力になるだけでなく、一番弱い人へ手を差し伸べる、弱い人を見つける。そのためには、自分の足で歩き、時間をかけて、自分の目で見て、この人は何を必要としているか考え、援助していかなければならないと感じました。援助を求める人を助けるだけではなく、援助すら求められない人をも助けなければならないと思います。
 町の保健婦と相談し、避難所にいつもいる二人の老人を散歩に誘いました。声をかけると、
 「たまには外もいいね」と笑顔。
 支度を手伝っていると、寝巻きの上に服を着ています。足が不自由で、着替えるスペースもなく、困っていたのでしょう。いつも座っていたおばあちゃんは、思っていたとおり、小さい体ですが、杖をつくと、とても早歩きでした。おじいちゃんは思っていたより背が高く、口は達者ですが、足はいうことを聞かないようでした。
 町の中を車で走り、二人とも
 「誰さんの家だ。傾いている。溜め池に水がないから農業が心配だのう。牛はどうしてるかのう」
 とよくしゃべります。公園に着くと、一つ一つの植物を説明してくれます。
 「梅がよく咲いたなあ」
 と笑っています。
 帰り道、
 「家に寄りたい。取ってきたいものがある」
 とおじいちゃん。家は玄関が傾き、取り壊しになるようでした。
 おじいちゃんの欲しかったものは『ひげそり』でした。改
 めて見ると、顔はひげが伸びていました。
 避難所の老人は、みんな疲れた顔で、髪もボサ
 ボサだったのですが、とりわけ奇異には思っていませんでした。清潔を保つ援助は、入浴ばかりではないのに気がつきました。
 避難所の前で、廃材を載せたトラックが走っているのを見て
 「ない銭出して、やっと建てた家がトラックに乗って走っていくのお」
 と話していました。やるせない一言でした。
 次の日の朝、ひげそりを済ませ、元気に私たちを迎えてくれたおじいちゃん。
 震災直後は、命があっただけでよかったと思い、今は復興にむけて頑張っています。目的があるから、泣き言も出ないのかもしれません。
 私たちは長い時間をかけて、手を出したり声を掛けたり、その時、その時の状況をきちんと判断して援助して行かなければならないと思います。