鉄道現業マン

     福田 秀夫 四十五歳 会社員 兵庫県三田市


 私達、鉄道現業マンの勤務体系は、だいたい一昼夜交替勤務である。一月十七日当日も、ちょうど自宅を出る時であった。突然グラグラときた。普通は「ああ地震だ」とそれで終わるのだが今回は違っていた。ああ家がつぶれると心の中で叫んだ。地震がおさまった。
 妻を呼んだ。子供を呼んだ。声がする。部屋を見まわした。無事だ。階下へおりた。食器棚から食器が落ちている。たいした事はない。安堵した。妻にとにかく仕事に行くといって出た。
 JR福知山線はストップしていた。同僚の車に便乗した。阪急電鉄の平井電車車庫下の駐車場に着いた。コンクリート柱が縦にさけ、鉄筋がむきだしになり曲がっている。運輸課操車に着いた。同僚上司がいる。聞くと電車はすべてストップで待機の状態だという。運輸課員がいくらいてもだめだ。技術屋、土木屋にまかせな。
 当日の勤務地は十三駅だ。行く手段がない。軌道の中を歩き、夕方五時に着いた。翌日自宅へ帰ろうにも全部ストップ、結局ほとんどの区間を歩いた。夕方四時帰る。
 その次の日も勤務。結局二月半ばまで休みはなかった。被災地での勤務も体験した。臨時の告知板掲示、振替乗車、案内誘導。ライフラインの断たれた中での長時間労働。本心、自宅を出る時、気が重かったが、一旦仕事につくと不思議とそういう気持ちは吹っとんだ。西宮北口駅、三宮駅、御影駅でも仕事をした。
 勤務に行く途中、倒壊家屋に花が供えられてある。ああ、亡くなられたのだなあ。解体作業が行われている。壁くさい臭いが一面にただよう。災害復旧のトラックが行きかう。
 日がたつにつれて被害だけが目につき、ああすればよかったのではないか。なになにすべきだと各報道機関はいう。また、行政批判も聞かれる。しかし私は思う。直下型大地震では結局何も出来ないのではないか。その時その時、人は最善を尽くす。まして異常時ではなおさらだ。
 人は、いろいろなラセン状の楕円運動を描きながら、自然や人と交わりそして年輪をかさね一生を送る。被災された阪神地区の人達、どうかこの貴重な体験を礎として、めげずに歯をくいしばって大地に力強く根を張り、頑張って下さい。
 必ず花を咲かせ実をつけ緑あふれる大樹となって下さい。私の思いであり、祈りでもあります。