希望

    ランダル W. ボーリング 四十六歳 語学教師(アメリカ)


 中央区の中山手通で、三階建てアパートの一階が押し潰され、四十代と見える夫婦が閉じ込められていました。男性はどうやら動けるようで、建物の基礎のそばの小さな穴を通って上れそうでしたが、梁の下になっている妻を助けようとして、半狂乱になっていました。私がそこへ行ったのは朝の七時でしたが、その時点では「公式」レスキュー隊はおらず、近所の人が二、三人いるだけでした。
 だれもが助けようと思いましたが、私たちにできることは多くはありませんでした。そこへ行くには基礎の脇の小さな穴を通るしかありませんが、その穴は一人が上半身を押し込められる位の大きさしかありません。内部には、もちろん十分に動けるスペースはなさそうです。
 私のいるところからは夫の姿は明瞭には見えず、その様子も定かではありません。私たちは瓦礫を取り除こうとしましたが、非常に堅く締まっており、手ではとても無理でした。他の方法も考えましたが、建物が押し潰され鉄筋が邪魔をして、素手で入って行くのは明らかに不可能です。また女性の上の梁を動かすテコの代わりとなるものも、見当たりません。
 そのうち、だれかが梁を上げられそうなジャッキを見つけてきましたが、残念なことにハンドルがありません。工具箱からドライバーを捜しだし、その代わりとすることができましたが、ジャッキを入れる十分なスペースがなく、効果的に使えないのです。
 持ち上げようとして失敗するごとに、彼は絶望的な声をあげ、繰り返し助けを求めました。夫婦は二時間近くもそこに閉じ込められているのですが、私たちにできることは周りから声で励ますことだけなのです。これは非常に情けなく、また言うまでもないことですが、中の男も極度に弱っていきます。
 こんな光景を見るのはもちろん初めてで、その日はそれが最後ではなかったのですが、何より私の心に突き刺さったのは建物に閉じ込められた二人の叫び声です。その夫婦は共に助けを求めていましたが、ときおり夫は妻がほとんど耐えられない状況になっているとわめいていました。彼は何度も妻を助けようとし、その度に叫び声をあげました。
 彼らは何度も同じ言葉を叫びましたが、その調子は明らかに違っていました。男性の声は失望、怒り、絶望が混じっているように思えますが、女性の叫びは神の恵みを嘆願しているように聞こえました。いずれの叫び声も、建物の外でただ立っているだけの私の心をますますかき乱します。さらに絶望に満ちたものとなり、聞くのも苦痛に感じられました。私の周りの人々も、その表情から私と同じ思いであることが分かりました。今でもその経験を思い出す度に、涙が出てきます。
 外にいる人々は夫婦に、救助隊がすぐ来るのであきらめないよう呼びかけ続けました。私は最初、どうして人々がこのことを知っているのか不思議に思いました。かれらが救助隊が来るのを本当に知っているのか、単に希望的観測なのか、夫婦を勇気づけるために嘘を言っているのか分からなかったのです。人々が実際に知っていたかどうかに関わらず、その呼びかけは夫婦にとって助けになったようです。二人はそのうち静かになりましたが男性は新たな試みを行い、女性は耐え続けました。
 その時です、突然、救助隊が現れ、梁を上げて夫婦を助け出したのです。このことを後になって思い出すと、その時はあてもない希望を与えるのは意味がなく、その場ですぐ必要な行動の妨げにすらなっているように考えていました。けれども今では、もしその夫婦のような状況に置かれたら、そういった希望を与えるのは有効で実際的な意味を持っていたと思います。