ボランティア活動から学ぶ

      丹後 由美 十五歳 高校一年


 生まれて初めての大震災。その時私は二階にある自分の部屋にいました。ふと目が覚めたので布団をかぶってベッドの中でじっとしていました。すると突然、何が何だかわからない大きな揺れと、すごい音がしました。それが地震だという事も分かりませんでした。とにかく怖くて揺れがおさまっても動けませんでした。
 父が二階に上がってきて、子供三人に声をかけ、それからはみんな一階にかたまっていました。私と祖母は机の下にかくれていました。地震の後には余震があるなんて知らなかったので、揺れるたびにビクビクしていました。携帯ラジオで「神戸で大きな揺れ、マグニチュード7・2、震度6、各地で火災が……」などと今まで体験しなかったことが次々とおこっていると聞いても、現実のこととは思えませんでした。
 外が明るくなってくるにつれてだんだん気持ちがおちついてきて、割れているガラス製品や倒れたり落ちたりしているいろんな物に気がつきました。でも、そのくらい全然たいした事なくてこれくらいですんだ事、家が無事だった事に感謝しないといけない、と思ったのは電気が通ってテレビがついてからです。テレビではじめて街の様子を目にしました。倒壊したたくさんの家、傾いたビル。どれだけ地震がすごくて自然の力が恐ろしいかを思い知りました。
 それと同時に火の恐ろしさを知りました。毎日の生活にかかせない火、毎日使っている火、普段なら人間の役に立つはずの火が突然、残った家までも燃やしながらどんどん燃え広がっていき、最後には手のつけようがない大火になる。家から見えた山の向こうの空は、夕日のように真っ赤でした。煙がまるで入道雲みたいでした。それが火災と分かったのはテレビを見てからでした。
 通学路が燃え、学校の周辺も燃え、神戸のあちこちで火災が発生し、多くの人が亡くなって、家を失って避難し困っている人が大勢いる。それを知ると、少しでも手助けをしたいと思ってボランティアに参加しようと思いました。でも混雑しているのでことわられてしまい、それからは、家に避難してきたいとこや叔父や叔母の手伝いなどをする毎日でした。
 最近やっと落ちついてから、母が病院に行ってお世話するボランティアに行くようになったので、私も二回だけだけれど母についてボランティアに行きました。いつもなら患者さんの体をふいてあげたりするんだけど、その日は初めて訪問看護の日で私は母と看護婦さんと三人で小学校に避難しているおばあさんの所に行きました。
 寝たきりでお風呂に入ることができないので体をふいてあげたり、頭を洗ってあげたり、一緒に歌を歌ったりしました。そのたびにとても喜んでくれて本当のおばあちゃんみたいでした。二回目に行った時、私の事はおぼえていなかったけど、折り紙を折ったり、話したりしているとずっと一緒にいたいと思いました。
 看護が終わるとおばあちゃんは「由美ちゃん」と言ってくれて、「学校はじまったらもうこられないんやろ」と泣きながら言ってくれたのですごくうれしかったです。ボランティアに行くのは曜日と時間が決まっているので、学校がはじまると行けないけど学校が休みの日とかは絶対にもう一回おばあちゃんに会いに行きたいです。
 私はボランティアとは人のために人を喜ばせて、手助けする事だと思っていたけれど、今回は逆に、色々な事を学んで、自分もうれしくて喜ぶ事がたくさんあり、行って良かったと思います。地震からだいぶんたって、まだ完全に普通の生活に戻ってはいないけど、元の神戸に戻れるように少しでも、手助けがしたいです。