思いやりの大切さ

        寺居 優子 二十歳 大学二年 西宮市


 ドーン、ガシャーン、激しい揺れ。もう、死をも覚悟していた。私が一人暮らしをして二年になるワンルームマンションは西宮市の甲子園にある。あの日私は、いちかばちか実家の滋賀に帰ることにした。
 そこで何不自由なく平安な日々を送ることになった。日がたつにつれ、私からあの恐怖はなくなっていった。テレビの中の現実はつくりもののドラマのようだ。私自身、現実逃避したかったのかもしれない。
 ようやく現実を見つめられるようになった時、今過ごしている時間がもったいなく思えてきた。単調な毎日。被災した身でありながら、こんなに時間をもて余している人間がいてはいけない気がした。西宮や神戸、大好きな街の人々は、余震の不安や悲しみ、不便さに耐えている。自分だけ逃げてる。他の人はどうなってもいいのか……。義務感と罪悪感が私をボランティアをする方向へ後押しした。
 私は地震から十日後に西宮に戻り、ボランティア団体に加わった。その団体は、主にバイクで救援物資の運搬や避難所の調査をしていた。ボランティアはやろうという気持ちだけでできると思っていた。私はすぐに大きな障害にぶつかった。自分が無力すぎるのである。何をするにせよ、人の助けを借りなければならない。例えば炊き出しに行くにも足がなく、バイクに乗せてもらわなければならない。もちろん、役立つ看護や福祉の知識もない。何かをしたいと思っても空回りする日々が続いた。気持ちだけではできない難しさを知った。
 私たちの団体は、毎晩意見交換会などをしていて、徐々にではあるが避難所の状況がわかってきた。ボランティアにたずさわって二週間ほど過ぎた頃、私はまた混乱させられた。ボランティアをする側とされる側とのバランスが悪くなってきたのである。例えば、近くに店が開いて売っているのに
 「○○を持って来て」
 と言われる。不便のない人が車で炊き出しを食べに来る。
 私の街、西宮でもそうだった。あたりはそんなに倒壊家屋があるようにも思えないし、近くには大きなデパートもあるのに、大勢の人々が物資に長い列をつくる。本当に困っている人がこの物資に助けられたかどうか不安になった。人々は困っているからでなく、得だから集まって来るのである。好意で送ってくれる全国の人に悪いと思った。
 私たちはこの現象を甘えと呼んでいた。確かに何万という、本当に困っている人々がいる。家も財産も失って、希望も失いかけている人が……。しかし、メンタルな面は別にしても、あまり物質的に困っていない人から自立していこう、自分の生活をたて直していこうとしない限り、街の復興は夢のまた夢である。
 私たちボランティアは、困っている人々を手助けしたいと物資を運び、炊き出しを行ってきたはずである。それがかえって人々を自立から遠ざけ始めているのでは……。人々が困っている程度なんてラインは引けないものである。それだけに、とても難しいと思う。そのように考え始めてから、私は何をするのが一番必要かわからなくなってきた。
 物だけでなく、精神面のケアも大切に思える。が、はたしてこの私にできるのか。今、私は自分の考えを模索中である。
 私は今までボランティアなんて考えたこともなかった。日本や世界のどこかで何か災害がおきても、どこかさめた目でニュースを見ていた。今回、自分で体験し、初めて本気で考えた。そんな自分を恥ずかしく思う。災害はその大小や自分からの距離に関係なく、どんなものでも被災者に対する思いやりを持つことが大切だと思う。そうすれば、いつでもみんなが助けあえる社会ができるだろう。地震直後の被災地のように。私はあの、優しさにあふれた人々を街を忘れない。
 それから、地震にあった側の人もボランティアなどでかかわった人も、自分の体験したことや悲しみ、むなしさ、いろんな気持ちを大勢の人々に伝えてほしい。そこから、これからの対策がいい方向になされると思うし、おこりうる新たな災害の時も早急で良い判断がなされると思うから。そのためにも、この震災のことは決して忘れてはいけないと思う。
 最後に、私も被災者の一人として述べさせてもらうと、今回大勢の人々が義援金を送ってくれ、ボランティアに来てくれたり、本当に人間の温かさを感じた。どれほど心強いとみんなが思ったことでしょう。やっぱり、一番大切なのは人の気持ち。絶対に……。
 これからも、自分のできることをできる範囲でやっていきたいと思う。そして、私が改めて知った思いやりの大切さを忘れず、生きていきたい。