神戸の街から旅立つ

        小林真弓 三十一歳 神戸市須磨区


 最近、私は50CCのミニバイクに乗りはじめた。子供がこまなしの自転車に挑戦する様なものである。その私が夜明けとともに単車で神戸大学病院に突っ走ったのは、一月十七日のあの悪夢の大震災の日である。
 父が入院していた。持病の心筋梗塞の検査のために、一月十三日に心臓カテーテルを受けた。思いの他、病状は厳しく心臓病専用の集中治療室に入り治療を受けていた。
 私が一番心配したのは停電だ。その時父の心臓は心臓補助器によってはたらきを助けてもらっていたはず。病院の自家発電がうまく働くか。点滴や酸素も必要だ。気が気ではない。単車の制限速度はかなりオーバーしていた。
 国道を走った。車の量は少ない。須磨の海沿いの木造の家は無残な瓦礫の山になっていた。アスファルトも波うった様に変形していた。顔面を血だらけにして病院へ向かうらしい人もいた。
 少し先の空には黒い煙が立ちこめていた。板宿、長田も地震に負けていた。大開通りを走ると道路が陥没して二台の車が水たまりにはまり込んでいた。神戸駅近くの大きなビルもたった二十秒程の地震にやられていた。
 救急車や消防車のサイレンがけたたましくひびく。もう私の胸はぎゅうぎゅう締め付けられ、苦しい程だった。神戸の街はすごい事になっている。被害が私の頭の中を拡大していく。
 停電より何より父はこの大きな地震に耐えているだろうか。
 神戸大学病院に着くとロビーは怪我人であふれていた。次々に到着する救急車の中から心臓マッサージをしながら、かつぎ込まれる人もいた。どう見ても助かっていそうにない様子……。まるでテレビで見るような光景だが、私にはそれを思いやる気持ちもなく、一気に九階の病室へかけ上がった。
 病棟も地震の被害を避けられなかった様子だった。
 「お父さん」
 父は無事でいてくれた。やっぱり涙があふれた。でも動揺を見せてはいけないと思い、
 「お茶碗、割れたわ。又、買わなあかんわ」
 などと言いながら、さほどにたいした事でもないように話した。しかし、病室の床にはベッドがあばれた跡がくっきり残っていた。ベッドから振り落とされた父はベッドの柵をしっかり握ったまま話す。ヘリコプターがうるさく飛ぶ。
 「入院しとってよかったなあ」
 と言いながら顔もふいてやれずに病院を後にした。
 上沢通りには火災が発生していた。戦争を知らない私だが、なぜか戦争中の光景とオーバーラップする。
 我が家も地面からマンションが掘り起こされたような状態になった。冷蔵庫も倒れた。和ダンスから着物がとびだしていた。
 子供部屋の電気もふりちぎられていた。土足で踏み入った時はとても淋しくこのままこの部屋で暮らすことができないのではないかと思った。
 近所の人達の助けもあって私は青空食堂から病院へ通う事ができた。水も病院食もない中で充分な看病はできなかった。あつい湯で身体をふいてやりたい、やわらかい白身の魚を食べさせてやりたい。何より一日中そばにいてやりたい。
 主治医や看護婦さんは献身的な治療をしてくれていた。家が全壊しながらもジャージ姿で詰所から離れられない状態がうかがえた。そのおかげで父は一月二十四日、集中治療室から一般の個室に移る事ができた。
 地震以来、一度も家に帰っていない母にかわって私が父のそばに泊まることにした。その夜父は自分の身体と地震の不安が交互におそうのか、なかなか寝つかれずにいたが、翌日の早朝には、
 「朝がむかえられた!」と喜んでいた。
 しかし、二人で朝食をとり、私が歯磨きの水を給水車へくみに降りた直後、なぜか、父の心臓は停止した。
 「神戸の街はもうおしまいや!」
 父は、こう言ってこの神戸の街から旅立ったのだ。
 地震の日、
 「入院しとってよかったなあ」
 と私は父に言ったけれど、外の様子がわからないまま身動きのとれない父はどれほど苦痛だったか。ヘリコプターやサイレンの音だけが聞こえる部屋でどんな事を考えていたのか。
 今まで父が中心となって家族を支えてくれた。どんな時も父の一声で事が運んできたのに、それができないいらだち。本来ならその大きな手で水も運んできてくれるはずの父であった。入院していてよかったなんて、なんて軽はずみな言葉だったのか、反省する。
 地震さえなければもう少し集中治療室にいられたのではないか、水をくみに行かずに済んだのではないか、何よりも静かな街の中で療養する事ができたのではないか。はたらきが充分でない心臓でよけいな心配をせずに済んだのではないかと考える。無念でならない。
 地震の日、命が助かった事をみんなで喜んだはずである。命があれば何でもできると励ましあったはずである。
 又大きな地震が来た時、母が父と声をかけあう事ができないと思うと、とてもくやしい。父という存在がなくなったせいで、母をはじめみんなの心の復興は当分めどが立たない。