やっぱり親友

       女性 十三歳 中学二年 神戸市垂水区


 「えっ、震源地が淡路の北淡町だって、亡くなった人も次つぎいるようだ。大変や」
 血相を変えた母は震える手で受話器を握り祖母の住む淡路の家へ電話をしている。何回かけてもどうしても通じない。その間にも倒壊家屋の下敷きになった方の数がふえていく。
 「これはひょっとすると……。いやいやこんなこと思いたくもない。でも変だわよ電話」
 その場にくずれ落ちるように座りこんでしまった母は、テレビに映し出される死者の氏名を横目でじっと見入っている。まるで恐ろしいものを見るような目付きで……。こんな母の取り乱した姿を見るのが初めての私は、心臓がドキドキと高鳴ってきた。
 その間にも余震が何回となしに揺すり続けている。ついで神戸の方の被害も映し出されるようになった。普通の地震じゃないことが分かってくると、その恐ろしさにいても立ってもいられない。座っていると体が揺すられているようになり、立つと何かにすがっていたい気持ちになってどうする術もない。両親も兄や妹も何か忙しそうに動いている。
 母は夕方近くになって出航する船に乗って淡路へ渡り、元気な祖母の姿を見て帰った。淡路の被害はひどく、聞いていた私は思わず泣きだしてしまった。震源地の野島断層近くにある祖母の家の辺りの被害は目を開けて見られないという。家の下敷きになって亡くなった方も多い。その中に私達と同じぐらいの中学生もいた。家の下敷きになり大声で「助けてー、助けてー」と叫んでいたという。だがその上におおいかぶさった家の柱や屋根は、みんなで持ち上げようにもビクともしてくれない。その間にその子の必死の叫びもだんだん力がなくなっていった。ご両親は泣き叫んでいたそうだ。
 倒壊した家の下敷きにいる間、その子はどう思っていたのでしょうか。母は見聞きしてきたことを話すのに何回も絶句し、涙をふいていた。本当に大変な被害を受けていると思った。
 それから少し落ち着いてきたころ、私は母について淡路の祖母の家に行ってみた。これがおばあちゃんの家なのかとおどろいた。僅か十数秒間で家並みがなくなるなんて、どうしても考えられないことがおきていた。
 私は親友のAさんを思いだした。Aさんとは保育所時代からの親友だが、Aさんは去年の夏ごろから登校拒否を続けている。Aさんの登校拒否の理由は一応すじが通っていた。Aさんだけでなく登校拒否を続ける生徒は何万人もいると聞いた。これらの生徒の思いは、ちょうど地震の元が地下にあって分かりにくいように、心の中にあるので外見は分からない。また個人別にさまざまの原因をもっているのでよけいに分かりにくい。
 私は毎朝のようにAさんを誘ったり話しあったりしているが、理由をつけて、どうしても登校してくれない。帰ってから私はAさんにこの話をしてあげた。登校拒否などしている場合ではないのだ、と。
 「登校拒否の理由は我がままだと思うの」
 私はAさんを我がままだと強い口調でいった。私はAさんを責めるつもりは毛頭なかった。なのに強い言葉が出てきたのであった。地震の悲惨なありさまが頭の中に焼きついている私は、登校拒否など甘えでしかないと思えたのだ。それまで深刻な悩みをもっているAさんに同情もし慰めてもきた。だが地震の活断層は情ようしゃなく家や田、港、すべての物をこわした。
 「何千人もの尊い命が亡くなったのよ」
 かけがえのない命ということがAさんに分かるはずだ。私はAさんと向きあっていた。
 「家がこわれたって生きてさえいれば、直せるのよ。生きているということはこんなにすばらしいということが分かった、身にしみて」
 祖母は笑いながら、家の修理をすると言っていた。そのエネルギーに私は教えられた。私の話しを目を丸くし、息をのんで聞き入っていたAさんの目に涙があふれて流れ落ちた。やっぱり無二の親友のAさんであった。私はうれしくて力いっぱいに、握りしめた両手をもってとび上がった。
 Aさんは地震後から登校するようになった。何事もなかったかのように元気に登校している。阪神間と淡路での復興の槌音に呼応して、登校の靴音もひときわ高く響いている。毎朝お互いに誘いあって。
 「親友って本当によいものだと身にしみたのよ。生きていることは何よりの宝物なの」
 地震によって今まで思いもしなかった宝物を手にしたAさんの顔は底抜けに明かるかった。