修学旅行

      高橋 勝 三十八歳 高校教諭 神戸市北区


 さあスキーだ。生徒たちが喜び目覚めた修学旅行の朝、ふとテレビをつけると、神戸で震度6というニュースが目に飛び込んできた。上空からの映像が多く、被害の実態はよくわからないが、長野県の戸隠の宿で、阪神高速の崩れた橋桁などを見て、二年生四百二十一名は昨日の朝までいた神戸の我が家を思った。
 家にすぐ電話をするが、つながらない者も多い。不安をあおるだけの報道に苛立つ。不安を抱えたまま、スキー実習へ。午前の実習終了後、宿舎では電話の列ができるが、まだなかなか電話はつながらない。やっと家族の無事を知り安心した生徒も、電話のつながらない友達を思いやり、素直に喜べない。神戸から長野へはこちらから以上にかかりにくかったようで、家からも連絡は入らない。
 すぐには何もできず、テレビを見続けるとパニックになるとの判断で午後の実習へ。実習中はスキーだけに集中するようにと指導するが、「リフトに乗ると自然に話は地震のことになった」ようだ。
 予定していた帰りの三宮着の夜行列車はもちろん無理なので、交通マヒの中、どうやって神戸へ帰るかが最大の問題となる。JTB添乗員の石塚さんは、神戸支店が壊滅したので他の支
 店と連絡を取って必死で帰るルートを探してくれる。引率教員の中にも、義弟が亡くなったとの知らせが入る。しかも家が住めなくなり妻子が避難しているという。帰る前、幼い子供のために、紙おむつをカバンにつめる彼の姿が痛々しい。
 十八日。テレビに釘づけ。校区である長田区の火事が何度も映る。自分の家が、壊れたり、焼けたりという情報も次々と入り、泣く生徒も。朝、
 「明日ほんまに帰れるん、先生?」
 と聞く生徒に
 「大丈夫帰れるぞ」
 と嘘を言って安心させるが、まだあてはない。テレビは地名の読みも間違いだらけで、相変わらず悲惨な姿を映すだけ。帰りは夜行バスを考えるが、余震の心配もあり、道路状況が悪く、何時間かかるかさえわからないため運行してくれるバス会社が見つからない。
 午後になってやっと、大阪名鉄観光のバスが明日の朝六時に出て長野まで来て、折返し夜行で神戸まで連れて帰ってくれると聞き、職員も生徒もホッとする。夜、クラス単位のレクリエーション。自粛しようという声もあがるが、こんな時こそみんなで盛り上がろうと説得して回る生徒もいて、予定通り実施。被災した女生徒が懸命にクラスをまとめている姿もあった。笑い声に、教師は救われる。生徒たちは電話で水や食べ物がないと聞き、お土産は食べ物ばかり買う。
 十九日。帰れるとわかり、最後のスキーを楽しむ。朝早く大阪を出たバスが夕方宿舎に着き、運転手さんのやさしい笑顔を見て、心が落ち着く。トイレ休憩のドライブインではペットボトルを探す生徒もあるが、売っていない。カップラーメンを買う者もいる。
 二十日。北から大回りして神戸市内へ。十八時間かかってやっと学校へ着く。その後また渋滞の中を帰る運転手さんに、心をこめてお礼を言う。パンと、宿舎がお見舞いとしてくれたペットボトルとを、そのまま避難所に行く生徒に持たせて学校解散。家族に会えなければ学校に戻ってくるように指導する。やっと神戸に帰れたものの、疲れたその足で避難所に行かざるをえない生徒をつらい思いで見送る。
 着いた夜、学年主任が疲れた体で、インフルエンザなどで不参加だった生徒の安否を確認。二年生は全員無事とわかる。その後、震度3程度の余震を何度も体験。かなりの揺れだ。震度7など想像もつかない。あの十七日、家にいたら、寝ている頭の上にテレビが落ちていたかもしれないという生徒もあり、幸運だったといえる。しかし、生徒たちは、
 「自分だけあの地震を経験しなかったことは、本当によかったのだろうか」と周りの人達に対して後ろめたい気持ちでその後の日々を過ごしたようだ。
 混乱の中、翌日から多くの生徒たちが救援物資の仕分などのボランティアを行った。避難所の子供達に絵本を届けた女生徒もいた。また水道とガスの復旧が遅く、水汲みなどに追われた生徒も多い。避難所を回ったある教師は、配給の食べ物をもらうため並んでいた生徒の姿を見て涙が出そうになったという。
 ある生徒はこう書いている。
 「長田区へ向かった。着いてみると一面の焼け野原。その光景を見ただけでも恐ろしさで震えが止まらなかった。祖父と祖母の骨は小さく砕けていた。なにもかもが焼き尽くされ、残ったものは祖父の愛用していたコーヒーカップ・時計・コレクションの記念硬貨だけだった。あんなにやさしかった祖父と祖母がなぜこんな苦しい死に方をしなければならなかったんだろうと思うと、今でも悔しくてたまらない」
 その後、二年生は三人が鹿児島など県外に転校。
 親友には「自分にとって何より大切な財産がなくなった」という悲しい別れになる。
 出来上がった旅行のクラス写真を郵送するのはつらいだろう。こうして「忘れようとしても忘れられない」修学旅行が終わった。旅行中、生徒たちは見事なほど落ち着いて行動し、他人に対する思いやりも失わなかった。生徒たちは作文の最後にきまり文句のように「大好きな神戸が一日も早く元に戻ってほしい」と書いていた。