家族を守った我が家

        小竹 孝昭 六十歳 神戸市東灘区


 妙にこの家は正月に因縁がある。昭和二年一月に新築され、借家人として入居したのが昭和十三年の一月であった。その年にあの阪神大風水害にあう。当時の様子は「細雪」に描かれている通り、巨象にも似た大石がすごいいきおいで六甲山系の天井川を山肌を深くえぐりながらころがって来た。土石流や山津波がおそいかかって来る住宅地域は逃げ場のない生地獄だった。
 そして数年後、終戦近くまで続いた阪神大空襲と天災人災に見舞われ、大型台風、各地に続発した地震等に傷付きながら、なんとか七十年近く私達一家を親子三代にわたって支えてくれた。
 そしてついに、平成七年一月十七日未明午前五時四十五分頃に倒壊したのである。
 その時二階南側の部屋で私は妻と次男そして愛犬チビと寝ていたはずであった。家財道具のたおれる音、それにまして屋根がめりめりばりばりとこわれる音と同時に、すさまじい震動の中で、どさっと重い物がにぶい音をたててくずれ落ちた。
 地震とわかっていても暗いし、激しいショックのためどうする事もできない。全身に恐怖の戦慄が走り続けて行く。余震再来の不安に、おののきながら、死と対面している自分をはっきり自覚させられていた。毛布とふとんを頭からかぶり手を合わせていた。
 恐ろしいひとときが過ぎ去り、我にかえってやっと横にいる妻をまさぐるといない。その瞬間、床と一緒に階下へ押しつぶされたと思うとぞーっとするような不安の渦が胸を去来し始めた。
 夜明け近くなって二階の天井が落ちて来たため、天井板の裏側に前かがみの不自然な姿で座っていた。頭を上げると大屋根でチビがクンクンと泣いているのに気付いた。少しはなれたところで、次男のうめくような声がする。重たい物にはさまっているらしい。次男の声を確認してすぐ、戸外から「お父さーん、大丈夫、大丈夫」と妻が叫ぶ。
 「お父さーん、返事してー」と泣き声で繰り返しているのが聞こえる。
 しかしちょっと声が出なかった。
 次男が小声で「苦しい、助けてー、息がつまりそうだ」ともがいている様子に、はっと父親にもどり「寿弥! しっかりしろ、がんばれ!」と叫び続けた。
その大きな声を聞いた階下の長男が応答してきた。
 「お父さん、助かったの、大丈夫、お母さんが呼んでるよ」。
 私は夢中になって妻を何度も呼び続けた。七時ごろだと思うが、夜が明けていた。
 大屋根のすき間から向かいの家が見える。ああ自分の家はつぶれたがお向かいはどうやら無事だったらしいと、その時は思った。周囲が明るくなって天井裏と大屋根のすき間に閉じ込められていた私にも、つきが残っていた。前にふさがっている板を手で押すと動いたが、はなすとまた戻って来る。不自由な体形ではあるが、肩をつっ込み、頭で支え手で押しやりながらがんばったお陰で、上半身がどうにか前へずり出る事ができた。
 その間、何回も寿弥にはげましの声を掛けながら、やっとの思いで大屋根の切れ目に出て周囲を見渡すとほとんどが、全壊または倒壊し、北側の四階建てマンションが全館がくずれ、今にも前の道へ本体ごと倒れて来そうな状態になっている。すでに長男は妻に助け出され、素足のまま下着一枚で我が家のガレキで一杯になった路上の隅でぶるぶる寒さにふるえながら手をふっていた。
 妻は今にもなだれ現象を起こしてすべり落ちそうなガレキの上を、足許を何回も確かめつつ私の立っている所まで上がってきて、寿弥のいる中の方へもぐり込んでいった。私も同様、再びもぐり返し、手さぐりで重い物を押したが動かない。姿は見えないが何とかせねばと持ち上げるようにしたら、ほんのちょっと動いた気がした。どうやら妻が必死の力で次男を救い出したようだ。
 「お父さん、お母さんが助けてくれた。足が動くようになったから」。
 頭とは反対に足の方からうしろずさりするかっこうで這い出て来た。
 長男や次男たちを、何時くずれ落ちるかわからぬ倒壊家屋のすきまに身をかがめ、トカゲの歩行姿よろしくもぐり込んで助け出した母親としての本能行動をまのあたりに見て、腑甲斐なき父は、あっぱれ我が妻と唯々涙があふれて先が見えなくなった。
 猫は家に付き、犬は人に付くということわざ通りに、家族四人と助かった犬を連れてのホームレス、避難先を求めて歩くはめになった。筋向かいの家で生き埋めになった夫婦があったとの知らせに、息子たちと手伝いに掛けつけ、タンカ代わりの雨戸にのせて屋外に救い出した時はご主人の方はすでに事きれていて残念だった。初めての犠牲者の方に接した時、何とも言えぬ悲しさがこみ上げて来た。
 私達が永年住みなれた我が家は、たとえ借家であっても最後の最後までふんばり、老柱等がへし折られても、尚私達を救うべく最少のすきまを残したまま寿命つきて全壊した。
 家に別れを告げ、何回も頭を下げ合掌していると目頭が熱くなり、ついに大声で泣き出した。