「はーい」

        匿 名  二十二歳 大学四年 神戸市灘区


 バーンという音でハッと目が覚めると、急に激しい横揺れが来た。布団を被ったまま部屋の隅から隅まで転がっていきそうだった。それはまるで大男がマンションの根元を持って力いっぱい右へ左へ揺らし、私達を殺そうとしているようだった。このまま揺れがおさまらなければビルが折れて死んでしまうと思った。それは今まで体験したことのない恐怖だった。
 揺れがおさまるとすぐ隣の部屋で寝ていた姉が、「千恵ちゃん」と叫んだ。
 もうその時はマンションの非常ベルがけたたましく鳴っていて、その音によってさらに恐怖心が増した。とにかく逃げようと思い、鍵・財布・眼鏡を探したが、真っ暗な上、倒れた本棚や箪笥などがぐちゃぐちゃで、とても探し出せなかった。
 「千恵ちゃん、早く」と玄関で叫ぶ姉の声。
 やっとタンスのわずかな隙間から取り出したコートをはおり、玄関へ急いだ。しかし靴がないのだ。どこから降ってきたのか、わけの分からないもので玄関全体が覆われていて、とても自分の家とは思えなかった。先に玄関へ出ていた姉と全力で十階から下りた。その途中、すぐ裏で火事が起こっているのが見えたので、下の階
 でも火が出ていたらもうおしまいだと思ったが、なんとか一階までたどり着いた。
 そして小学校へ避難しようと玄関ロビーから道路に出ると、そこは夢の世界か映画のセットのような光景だった。
 町は全体に青くもやのようなものがかかっていて、電信柱は折れ、車道を毛布を被った人が歩いていた。車のスピードが止まってしまうくらい遅かったので、すべてスローモーションで見ているようだった。
 向かいの道路から、「おーい」という人の声が聞こえたが、目の悪い私は家がつぶれているのが見えず、ただ単に人が叫んでいるのだと思い「はーい」と応えた。
 少し行くと家がつぶれ歩道全体を塞いでいた。この時初めて地震がどれほど激しかったかがわかり、さっきの「おーい」は生き埋めになった人が助けを求めていたのだということも推測できた。また車道を歩き出したが、アスファルトは板チョコのようにバリバリ割れ、ガスの臭いが漂っていた。今にも倒れそうな家、塀、瓦礫の中をとにかく進まねばならなかった。
 やっと小学校に着いたが、情報が全く入らず、関西全体が地震でつぶれてしまったのではないかと不安だった。ふと私のマンションの方角を見ると、赤々とした火が真っ黒な空を染めていた。にもかかわらず消防車は一台も見当たらなかった。
 しばらくすると誰かのラジオからショックな情報が流れてきた。この地震の震源は両親の住んでいる淡路島だというのだ。その瞬間、つぶれた家から必死にもがき出てくる両親の姿が浮かんで、目の前が真っ暗になった。
 姉は興奮して周りの人に「うちの実家、淡路島なんです」と盛んに言い続けた。
 その間にも家はどんどん燃え、心配と恐怖と寒さで二人共地面に座り込むと姉が、「血」と叫んだ。足の裏をかなり深く切ったらしく靴下が血まみれだったが全然痛くないと言う。姉の怪我を知った周りの人達は親切に消毒をしてくれたり毛布を貸してくれたりした。
 しかし心配なのは両親のこと、一刻も早く連絡を取りたかったので職員室に電話を借りに行ったが、通じない。でも先生らしき人が無一文の私達に二百二十円もくれた。それから約二時間くらい電話を捜し続け、かけてみたが電話線が切れているのか混線しているのか全く通じず、諦めざるをえなかった。
 午前中の異常な恐怖と緊張感で疲れ果て、姉と二人でもたれあって寝ることにしたが、寒さと狭いスペース、突き上げられるような余震でとても眠れなかった。しばらくすると体育館には松葉杖の人や担架で運ばれてくる人が見られるようになった。重い気持ちで辺りをみまわすと友人の顔。大阪の家へ避難させてくれると言うのだ。
 体育館を出て車で行く途中の火事の跡は、まるで空襲の後のようだった。曇りでもないのに火事の煙で空一面灰色だった。ガスに火が引火して「ポン」と爆発を起こしたり壊れた家に押しつぶされた車から「ブー」とクラクションが鳴り響いていた。
 JRの六甲道の駅は高架が落ち、ビルは傾いていた。道はいたる所が陥没し、家は倒壊。想像を絶する光景だった。歩道ではどこへ行くのか大勢の人が徒歩や自転車で西へ東へ移動していた。まるで発展途上国を見ているようだった。
 やっとの思いで友人の家に着くことが出来、すぐに両親に電話をしたがやっぱり通じなかった。
 今度は公衆電話でかけてみると「はい。○○です」と母の声。私達二人の無事を知らせると、「千恵ちゃん生きとってくれたん。本当によかった。心配で心配で朝から何も食べてないねん」との事。両親の無事を知りほっと胸をなでおろした。
 私達は大阪港から実家に帰り毎日地震のテレビを見て、
 「かわいそうに地震さえなかったらこんなに多くの人が死なずに済んだのに」
 と泣けて仕方がなかった。
 うちの家も焼け、いつ修復できるのか。四月から就職しなければならないのに途方にくれている。