河本 安子  四十一歳 主婦  宝塚市


 昨年末、青森県沖で発生した地震の前日、宝塚の北の空に二段重ねの虹を見た。私と娘は、初めて見るダブルの虹に厚かましく願いをかけた。しかし、息子はそれを見て、
 「不吉な予感がする。明日、地震があるかもしれない」
 と、いいだした。
 「馬鹿ねえ、虹は幸せの前兆やからそんなことはない」
 と、私は否定しておいた。しかし、翌日、息子の予感は当たった。
 一月十六日は成人の日の振り替え休日で、一日中遊んでいた息子が、
 「なんか変な気分や。明日、地震でもあるんかな」
 と、又、口にした。
 その時も別に気にもとめていなかった。地震などこの関西の地では無縁のものだと信じていたからだ。が、やはり予感は当たった。
 一月十七日早朝五時四十六分。その朝、私は台所で鍋とやかんを火にかけ、朝食の支度に掛かろうとしていた。居間で、クラブ活動の早朝練習のために起き出した娘が、まだ半分眠った状態でストーブの前で座っていた。窓ガラスが、ミシッ、ミシッと音をたてる。大きなトラックが走ってるんだな……と思う矢先、家中がグワァン、グワァンと物凄い音とともに揺れ出した。上に下に右に左に揺さ振られた。台所の棚から、オーブントースター・鍋・ボールが降ってきた。背中の食器棚が私に迫ってくる。狭い台所は大時化の小船のような揺れである。
 娘に、
「ストーブの火を消しなさい!」
 と叫ぶが、言葉になっていないのが分かる。
 停電になった。真暗闇の中、ガスコンロの青白い炎が見えた。自分の手元にあるガスコンロをまず消さねばならぬのにできなかった。消したストーブの前で、娘と抱きあい、ただじっとしているだけで、この場所が安全なのか考える余地などなかった。
 娘にコタツにもぐりなさいと言えたのは揺れがおさまってからであった。家族五人一カ所に寄り添い、夜の明けるのを待った。自分達が無事であった次は、御近所の友人知人が心配になってきた。
 私は動けない。布団の上にへたりこんだまま子供達を引き寄せ、身を固くして動けなかった。夫に心配な方の名前を告げ駆け回ってもらった。外が明るくなってくると、家の中の状況が分かってきた。そして、ジワジワと恐怖も悲しみも押し寄せてきた。
 ピアノが床に叩き付けられる寸前のところを、小さな椅子が、つっかえ棒になりふんばっていた。わが家は、十坪ほどの小さな平屋建てが幸いであった。娘とあの恐怖の時を共有できたことは、私にとって一生の思い出になるだろう。  そして、余談になるが、くだんの息子は、いままでに五度の地震、噴火を私に予知してくれたことを記しておきます。