予感

        勝野 真美  二十二歳  大学生 神戸市垂水区


 一月十六日の夕方六時頃、アルバイトを終えて帰った私は、父と二人でこたつに入っていた。私はぜんざいを食べていた。静かだった。
 しばらくして突然、父が、
 「今、揺れた」と言った。私は全然気付かなかったが、その後テレビの地震速報が、「震度1 神戸」と報じた。私は、「父はすごいな。敏感だな」と思うと同時に、ちょっとおかしいなと思った。
 いつもなら「震度3 ○○、震度2 △△」などに続いて「震度 1 神戸」と出るのに、神戸だけなんて珍しい。でも、震度1だったのでそれ以上は気にも止めなかった。
 その夜、私はとても疲れていたので、お風呂に入りたくても用意するのがとても面倒だった。こんな時、いつもなら「面倒だから明日にしようかな」と思うのだが、その日はなぜか「絶対今日入ったほうがいい」と思った。
まったく根拠はなく、自分でもどうしてそう感じたのか全然分からない。しかし何度考えても 「今日入ったほうがいい」という気がするので、少し遅くなったがお風呂に入った。その残り湯は翌日以降とても役立つことになる。
 一月十七日早朝、前日疲れていてお風呂にも入っていた私は、本当にぐっすり眠っていた。ふっと目が覚めた。と同時に揺れ出した。すぐ蒲団をかぶって、
 「早く止まってくれー」と、ひたすらそれだけを考えていた。それしか頭になく、物が落ちる音も何も記憶にない。
 揺れはなかなか収まらないように思えた。ゆさゆさと揺すられるような、本当に今まで体験したことのない揺れの大きさで、しかもこんな長時間揺れたこともないと思う。マンションの六階だからかもしれない。後から考えると、よく言われる「つき上げるような縦揺れ」の覚えがないので、その縦揺れで目が覚めたのかもしれない。やっと、本当にやっとという感じで揺れが止まって、おそるおそる蒲団から顔を出すと、真っ暗だった。
 起きていた父と母は、懐中電灯を探しているようだったが、懐中電灯が入っていた棚の物が散らばって、ごちゃごちゃになって見つからないらしい。真っ暗で動く気のしなかった私も、仕方ないのでベッドの上にのせていたはんてんを着て動くことにした。
 部屋の中は何が落ちているか分からないので、ベッドの端まで移動して廊下に下りた。廊下は、玄関に置いていた金魚の水槽があふれたらしく、濡れていた。服装を構っていられなかった。
 とりあえずそのまま家の外に出て見ると、マンションの廊下の電灯がついていた。自家発電らしい。同じマンションの人たちが何人か出てきていて、もうすっかり服を着込んでとりあえず車に避難すると言っている人もいた。わが家は車がない。
 とにかく早く明るくなってほしかった。あと一時間半ぐらいで夜が明けるはずだが、それがとても長かった。街灯なんかもあまりついてなかったのだろう。いつもの夜、部屋の電灯を消した時より、暗かったような気がする。でも母が、 「まだこれから夜が明けていくのだからよかった。これから暗くなっていくんだったら、やり切れん」 と言った時、その通りだと思った。
 結局、仏壇のろうそくに火をつけて、なんとか服を探し出し着替えた。テレビもラジオもつかず、情報が全くないので不安だった。電池でも使えるラジオも、たくさんの電池が必要で、そんな数の電池は家になかった。こういう時、何をすればいいのかも全く分からなかった。
 私と妹は情報を求めて一階まで下りていった。同じマンションの人たちが大勢出てきて、それぞれにいろんな話をしていた。そんな人たちの所へ行って、情報を仕入れた。車のラジオや携帯ラジオを持っている人のところに人が集まっていた。そこで、神戸は震度6、震源地は淡路島と聞いた。淡路島からはこの辺が一番近いので、この辺が一番ひどいんじゃないかと思った。
 だいぶ明るくなってきて、マンションの管理人さんがガスの元栓を締めに回ってきた。ある人から、ドアが開かなくなるといけないのでドアを開けたままにしておくように、漏電するといけないのでブレーカーを下ろしておくようにと言われてその通りにした。足の踏み場もないほど散らかった家の中を片付けることを考えるとうんざりした。
 でもその時はまだ気楽だった。地震直後の恐怖心はかなり薄れてきていた。テレビがつくようになって初めて、この地震の本当の被害を知り、それから本当に怖くなってきたのだ。