幸せの絶頂から

    時本 みどり 二十九歳 学童保育指導員 神戸市東灘区


 歴史上記録に残るであろう日、平成七年一月十七日。その前日の十六日は、私にとって今までで一番嬉しい、幸せな日だった。というのは、長い日時をかけて両親を説得し、やっとこの日、結婚式の日取りが決まって式場の予約をしてきたところだった。この日は夜遅くまで両親と結婚式についての話をし、「あす、友達に報告をしよう」と思い眠りについた。
 どれくらい眠っただろう。「ドーン!」という音とともに、今までに経験したことのない激しい縦揺れと横揺れが起こった。まるで遊園地の乗り物を高速で動かしたような激しい揺れに、とっさに頭から布団をかぶっていた。私は、恐怖のために声を出すこともできずに揺れがおさまるのをひたすら祈った。揺れはじめとほぼ同時に、犬小屋に走り込むパタパタという足音をさせていた愛犬ジョンの
 「クゥーン」
 という悲しい声が聞こえてきたのは、その直後だった。
 揺れがおさまった。実際には二十秒程度だったそうだが、私には五分にも感じられた長い揺れだった。布団の中で丸まっていた私の背中の上には、いろいろな物が降ってきており、布団が重くて自分でのけることができない。だんだん息苦しくなってきて母を呼んだところ、
 「私も動けない…」
 との返事が返ってきて、ここで初めてただ事ではないことに気が付いた。
 布団の周りを取り囲むように何か倒れている。枕元の物はテレビだろうか。右側にあるのは仏壇かな、などと考えながら手で押してみたが全く動かない。今度は「出られない」という恐怖がおそってきて、無我夢中で布団をひっぱった。「火事場のばか力」とはこのことを言うのか、と思ったぐらい、スポッと布団のはしが抜けた。でも「出られた」と思ったのはつかの間で、布団の次には「木のようなもの」が頭の上に覆いかぶさっていた。真っ暗で何も見えないが、よく見るとわずかなすき間から明かりが見えている。
 「あっ、電気がついてる!」
 そう思った私は必死で頭の上のモノをのけ、少し開いた穴から抜け出てみると、そこは無残に変わり果てた我が家の屋根の上だった。私が「電気」だと思ったものは、どうやら月の明かりだったらしい…。
 一瞬、自分がどこに出てきたのかわからずあたりを見渡した。隣の二階が見える。北隣のマンションも、向かいのビルも立っている。
 「うちの家だけが、つぶれた!」
 そう思った。戦後すぐに建った木造平屋建ての我が家だけがつぶれてもおかしくない。街中が不気味なほど静まりかえっていた。いつもは夜中でも車が走っているはずの十二間道路には、車もそして人の気配もなかった。
 「誰か助けてえー」
 思わず叫んでいた。その声を聞きつけて、近くの会社の寮の人たちが出てきてくださった。屋根から降ろしてもらった私は、まず派出所に向って走った。
 「生き埋めの両親を助けてもらわなくては…」
 そう思った。十二間道路に川のように水が流れていたので、一瞬、奥尻島の津波を思い出し不安になったが、「ここは瀬戸内海だから大丈夫」と思いなおし、水の中を走った。裸足だったのに、水の冷たさは全く感じなかったのが不思議だった。派出所の手前でお巡りさんを見つけたので、
 「助けて」
 と話すと、
 「そんな家がたくさんあるから、周りの人を集めて助けてあげて」。
 そう言われて初めて事の重大さに気が付いた。あたりを見渡したが、強度の近視の私には何も見えない。でも、すごすごと引き上げるしか仕方がなかった。
 自宅の前に戻って通り掛かる人に、助けてくれるようにお願いした。見ず知らずの人達が集まってくださった。あわてて駆け付けてきてくださった近所の人や友達など、大勢の方々のおかげで、母と、裏に住んでいた叔母が約一時間半後に、タンスの下敷きになっていた父が約七時間後に助け出していただいた。私は感謝の気持ちで一杯で、でもうまく言葉にならず、ただ泣きながら頭を下げるのが精一杯だった。
 当日の昼前に、前夜、夜勤で大阪の池田市の工場にいた私の婚約者が、約五時間かけて歩いて我が家まで来てくれた。ペシャンコになった家を見た瞬間「顔が青ざめた」と言っていた。本当に、よく無事に出て来られたものだと思う。後日わかったことだが、私の布団を押さえ込んでいたものは天井の梁と柱だった。私の枕の上に落ちている太い梁を見たときに、
 「生きててくれて良かった」
 と言った、彼の一言が忘れられない。
 「明日、結婚の報告をしよう」
 と思っていた友達には、数日後、お互いの無事を確認できた時に、やっと報告することができた。何もなくなってしまって、本当にゼロからのスタートだけど、皆さんに助けていただいた生命を大切にして、頑張って生きてゆきたいと思う。
 最後に……。我が家で唯一匹、犠牲になってしまったジョン。きっと、君が、あのつぶれた家の中で私達の命を守ってくれていたのだと思っています。安らかに。そして、これからも「姉ちゃん」のことを見守っていてくださいね。