店長の死

       横尾 直子 十九歳 大学生 兵庫県川西市


 一月十七日、私たち家族四人は二階で寝ていた。五時四十五分、父の目覚し時計が鳴った。そして五時四十六分、父は階段の一番上に立っていた。静かに揺れ出した。
 「あ、地震だ」と感じた。そのうちグラグラきて、母が、「地震だ」と、騒ぎ出した。
姉は起きて窓の外を見ていた。グォー、グォー、ものすごい地鳴り。その音で半分寝ていた私はようやく目が覚めた。空がピカッと光った。
 「何だ、雷だったのか」。そう思って布団に潜った。その時、箪笥が体の上に倒れて来た。びっくりした。もう立てないほど揺れている。遠くで母が呼んでいるのが聞こえた。姉が私の名前を呼んでいる。私は動けなくて姉の助けを借りるしかなかった。私が箪笥の下敷きになっていることに気付いた姉は、急いで引っ張り出してくれた。ただの地震じゃない。とにかく逃げよう。電気はつかない。手探りで下りるしかなかった。家族四人は皆無事だった。
 外に出るとあちこちで人がすでに出ていた。家の瓦が落ちている。母が「まだ、危ない」と言うのに、父が懐中電灯で中を見ると、下りてくるまで気付かなかったことがたくさんあった。
 何もかも元の場所になかった。ピアノも冷蔵庫もテレビも転がっている。上の物は落ち、ガラス食器はグチャグチャ。まさに足の踏み場もなかった。 時計は五時四十六分のまま止まっている。
 その日はとても寒い日だった。
 明るくなって厚着で日なたぼっこ。家の中より外の方が暖かい。電気ストーブはガラクタ同然、テレビがつかないので地震のことも分からない。大きな余震が続いている。電話もつながらない。
 プロパンガスを積んだガス屋さんが来た。頭には生々しく血のついた包帯が幾重にも巻いてあった。それでも仕事をしている。地震で物が落ちて来てぶつかったそうだ。地震の恐ろしさにゾッとした。それでも家はまだましのようで、一時過ぎには電気もガスもついた。テレビをつけると、二百人もの人が犠牲になったことを知り、驚きとどうしてという気持ちになった。
 友人と電話がつながった時の初めの言葉は、「死ななかった?」だった。電話でそう言われたのは初めてだった。
 一月十八日、社員さんが電車が動かず来られないというのでアルバイト先の花屋に手伝いに行った。家と一緒でひどいもので花瓶は割れ、植木もあちこち倒れていた。私とアルバイトのおばさんで正午になってようやく片付けが終わった。おばさんは電話をして、社員の無事を確かめていた。
 どうしても連絡がつかない人がいる。店長だ。店長の友人や親から、連絡はなかったかと電話がかかってくる。しかし、本人からは全くない。私は心配しなかった。必ず生きていると信じていた。五時頃、もしかしたらということで、仲の良かった社員の人が阪急電車の山本駅にある店長の家を見に行ってくれた。
 一時間近くたって、店長の住んでいたアパートはどこに建っていたか分からないぐらいグチャグチャに潰れていると連絡が入った。
 おばさんは「もうだめかもしれない」と、言った。しかし私はきっとどこかで酔って、友達の所に泊めてもらっているんだと思った。お酒が好きで二日酔いでよく遅刻したこともあったから。
 十九日になって店長を見に行った社員さんが来た。泣いている。「まさか、うそだ、びっくりさせようとしているんだ」、そう思って「店長は大丈夫だったよ」と言ってくれるのを待った。でも私が聞いたのは「死んじゃった」という言葉だった。信じられないし、うそとしか思えない。あの地震で知ってる人が亡くなるなんて。涙が出ない。時間が止まっていた。
 誰が信じられるだろうか、地震が起きる前日の十六日には一緒に働いて、「今度カラオケに行こう」と話していたのに。カラオケにもまだ行ってないじゃないか。
 それに、その日たまたま私が「身近な人は誰も死んでないから、死んだ人は怖い」
と言ったら、「死んだ人はきれいなのよ」と優しく言ってくれた。
  帰りぎわに、「花や水を触っていると手が割れるし、黒くなって汚いでしょう」と手を見せてくれた。私が「そんなことないよ」と言ったのを覚えているだろうか。その日店長の後ろ姿を何となく見た。それが最後になるなんて悲し過ぎる。もう話すことも会うこともない。あの一分程の地震で。店長はまだ二十八歳だった。
 二十日、遺体が安置されている体育館に最後の別れに行った。避難している人も大勢いた。泣いていると思った店長のご両親やお兄さんは、泣いてなかった。涙も枯れてしまったのかな。目は赤かった。
 私はただ棺を見ていた。頭の方に名前が貼られていた。まだ信じられなかった。一緒に来ていた社員さん二人は泣いていた。私もここまで来れば泣けると思っていた。でも涙が出なかった。なぜここにいるのだろうと思った。前日まで一緒に働いてたじゃないか。私は何も話さないままお別れをした。 体育館からの帰り、急に泣き出してしまった。手を見せてくれたこともまだはっきり覚えているのに、店長はもういない。
 店長が言った、死んだ人はきれいだよという言葉もはっきり思い出された。身近な人を亡くすことはこんなに悲しいことかとしみじみ思い知らされた。
 次の日、店長は遺骨になった。 紙一重で助かった人は命を大切にしてほしい。