阪神・淡路コミュニティ基金

市民社会研究所所長 今田 忠


 一 阪神・淡路コミュニティ基金の発足

 阪神・淡路コミュニティ基金(以下、基金という)は震災から一年半近く経った1996年5月に発足しました。基金は競艇の特別レースの利益の一部8億円を原資として、日本財団により設立されました。日本財団は震災直後から被災地の支援に積極的に取組み、運輸・観光関係を中心にハードやソフトの復旧・公的イベントに助成を行い多大の貢献をしましたが、被災地でのボランティア活動支援についても同財団のボランティア支援部が担当者を常駐させて対応してきました。

 しかし被害があまりにも大きく、またその一方でボランティア活動の新しい動きが次々と生まれてきましたので、ボランティア支援のために特別の基金を設け現地に事務所を置き本格的な支援を行うことにしました。

当時私は笹川平和財団のプログラム・ディレクターの仕事をしていたのですが、日本財団の笹川陽平理事長から責任者として神戸に行かないかという話があり、引き受けることにしたのです。なお笹川平和財団というのは、日本財団のいわば関連財団ですが、日本財団とは別の財団法人で、主として国際的な政策課題に対応する助成財団です。従って笹川平和財団の仕事としては被災地支援の仕事は出来ないので、私は笹川平和財団から日本財団に出向の形で基金の仕事を担当することになりました。基金の仕事で日本財団とは密接な関係がありましたが、日本財団自体の仕事については殆ど知りません。

二 助成プログラム

 被災地でのボランティア活動を支援するといっても、助成を実施するにはある程度のガイドラインが必要です。そこで基金では、

@     地域復興プログラム

A     民間サービスプログラム

B     民間公益活動支援プログラム

の三つのプログラムに合致する事業に対して助成をすることにしました。

基金の運営の基本的考え方は、対症療法的な資金の使い方ではなく被災地での市民社会の建設に資するソフトなインフラの整備に寄与することでした。そのためには人と組織の強化が重要です。そのためAの民間サービスプログラムの説明には、「助成を受けて実施する事業が、実施グループの組織強化につながることを期待します」という文言が入っていました。基金が一過性のイベントに消極的であったのはそのためです。その一方で組織を担うのは人ですから、基金は人件費の助成も行いました。

しかし、短い期間で限られたスタッフで効果的な助成を行うのは困難な仕事ですから、助成の主たる対象をインターミディアリに置くことにしました。いわば卸売りを主として小売はあまりやらないということでした。

 そのために最も重視したのはBの民間公益活動支援プログラムです。当時の基金のパンフレットには、このプログラムについて、「コミュニティ活動を定着させ日常化させることを目的として、市民グループ・ボランティアグループが実施する民間公益活動を支援・促進する事業に対し、助成します」と書いてあり、事例として、

○ 各種インターミディアリ事業

○ インターミディアリに関する調査研究

○ 市民グループ・ボランティアグループの役職員やボランティアに対する研修事業

○ 市民グループ・ボランティアグループの社会的役割に関する調査・研究事業・啓発事業・政策提言機能

があげられています。

 最近はインターミディアリという用語はあまり使われないで、中間支援組織という用語が一般的になってきました。若干ニュアンスは違いますが、ほぼ同じものです。アメリカではInfrastructure Organizationと呼ばれるようになりましたが、市民活動が力をつけ、市民社会を実現するにはインターミディアリの機能が重要だと考えたのです。そのためインターミディアリに対しては必要とあれば組織全体の運営費の助成も行いました。

 基金は年間で活動を停止することが定められていましたので、予算執行のペース配分が難しかったのですが、年度以降は比較的予算に余裕があることが分かってきましので、Cその他機器・機材支援等プログラムを設け、物品購入にも柔軟に対応することにしました。また、イベントについては協賛金という形で資金を提供しました。

 

三 活動実績

 基金では活動実績をすべて公開してきましたが、ここで改めて八億円の行方をまとめると次のようになります。

 収 入                   809(運用収入を含む 単位 百万円)

 

助成金              531 (100件)

協賛金                13 (  82件)

自主事業費        111

(以上事業費計          656)

管理費              122

支出総計(含むその他支出) 791

 プログラム別助成金内訳は次のとおりです。

@地域復興プログラム                 10件    32 百万円

A民間サービスプログラム             48     230

B民間公益活動支援プログラム         28     261

Cその他機器・機材支援等プログラム   14        6

 

 助成金の支出先のうち大口(1000万円以上)は次のような団体です。

(単位 百万円)

 コミュニティサポート・センター神戸             66     

 プロジェクト結ふ                               51

 被災地NGO恊働センター                       39

  ベルボックスケアセンター                       29

被災地障害者センター                           23

多文化共生センター                             21

プロップ・ステーション                         21

エフエム ムーブ                               16

 たすけあいセンター                             15

 日本災害救援ボランティアネットワーク           15

 神戸まちづくり協議会連絡会                     14

阪神高齢者・障害者支援ネットワーク             13

  神戸ユネスコ協会                               10

がんばろう神戸                                 10

 

四 自主事業

自主事業というのは、基金が企画運営にもかかわり実施したイベント等ですが、金額的に多いのは仮設住宅から復興住宅への引越支援32百万円です。これは実質的には日本財団が実施したもので、市民グループ・ボランティアグループ等が被災者の引越の手伝いをするのに必要な車両を寄贈したものです。

その他の自主事業としては、市民グループ・ボランティアグループのリーダーやスタッフを対象とした研修セミナー、NPO法制定に向けての公開フォーラム、出版等です。新聞等による広報活動の経費も自主事業費として計上しました。

出版としては『災害ボランティア読本』(テレック)、『市民がつくる復興計画――私たちにできること』(神戸新聞総合出版センター)、『ボランティア学のはじまり』(六甲出版)があります。

 

五 活動を振り返って

年間の基金の仕事は私自身にとって大変有意義なものでした。被災地の市民活動にとってどうであったかについては、第三者の評価にまちたいと思いますが、いくつかの問題点、課題を述べてみます。

@ 合計100の団体に対し助成をしましたが、もちろんすべての助成が成功したわけではありません。大口助成先のリストをご覧になり、どのような感想を持たれるか分かりませんが、現在も被災地を代表するNPOとして活動している団体が数多くあります。なかには、民間サービスプログラムとして助成した団体が中間支援組織として発展している例もあります。インターミディアリの概念自体について私が十分整理していなかったこともあり、必ずしも期待した形ではありませんが、現在も重要な役割を果たしている団体が少なくありません。

基金の最後の年に助成を開始した団体については、十分な助成が出来ていません。ようやく新しい動きが出始めた頃に基金を解散しなければならなかったのは、残念でなりません。

全体に金額が大きいと思われるかも知れませんが、コミュニティサポート・センター神戸、プロジェクト結ふ、被災地NGO恊働センターは、いずれも基金解散後の活動を見込んで前渡金的に助成したものです。それにしても、解散の時期が決められていたために、金額が過大になったことは否めません。

A 自主事業は人の強化に重点を置き、少人数でのセミナーを何回か開催しましたが、やや時期尚早であったかもしれません。その当時は各グループとも目先の活動に追われていて、なかなか研修を受けるという機運にはありませんでした。内容としては、現在でも有効なプログラムであったと思います。コミュニティサポート・センター神戸、兵庫県と共催で始めたNPOマネジメント・スクールは今も形を変えながら継続しています。当時は類似の講座はなく、先駆的事業でした。

B 私は赴任前から企業市民活動との連携を考えており、商工会議所、経済同友会、青年会議所と接触しましたが、あまりはかばかしい反応は得られませんでした。青年会議所とはつながりを持つことはできましたが、実質的なプロジェクトには発展しませんでした。

C 被災地には公的・民間の助成制度がありました。これらの制度とは殆ど連携することが出来ませんでした。同じような趣旨で設立されていた阪神・淡路ルネッサンス基金(HAR基金)とは連携の話合いもしましたが、結局不調におわりました。

D 基金の内部の問題点もありました。基金は私を含めてスタッフ四名で運営しましたが、被災地の出身者は一名のみで、他は東京からの落下傘部隊、助成事務の経験者は私一人でした。私は大阪出身とはいえ神戸には人的つながりが殆どなく、対応に限界がありました。運営委員の方々にこの限界を補って頂きながらネットワークを広げていったのですが、当初は震災直後から現地に入っていた日本財団頼みでした。

 

六 基金解散後

基金が活動していた時期はNPO法の制定の過程でした。基金が解散する直前の1999年4月に兵庫県でもNPO法人の認証が始まり、市民活動は新しい段階に入りました。この原稿では市民グループ・ボランティアグループという言い方を一貫して使っていますが、現在であればNPOと言うところです。

私は被災地支援の経験から、市民が市民活動を支える仕組として各地にコミュニティ財団が必要であるとの意を益々強く持ちました。現在の市民公益活動の発信地の一つである神戸にコミュニティ財団をつくりたいと思い、有識者・関係者によるコミュニティ・ファンデーション研究会を開催し、研究・協議を行いましたが、成案を得るにいたりませんでした。

コミュニティ財団は出来ていませんが、最近はコミュニティ財団類似の基金が各地でつくられるようになり、またNPO支援センターも出来てきていますから、災害時にも機能することが期待されます。

 兵庫県や神戸市その他市町でもNPO関連の施策を実施しておられ、有難いことですが、NPOは非営利であると同時に非政府の組織ですから、企業や行政とは組織文化が異なります。相互に文化の違いを認め、尊重しながら協働し、精神的・文化的にも豊かな地域社会をつくっていきたいものです。

基金は1999年5月に解散し、私自身も職を失いました。基金パンフレットの「基金運営の考え方」には「新しい市民社会の建設にむけて・・・社会の新しい仕組みづくりのお手伝いをします」と書かれていました。そこで私は「市民社会研究所所長」を名乗り、年金を頂きながら市民社会の建設に微力をつくすことにしました。

今までの経緯もあり、貢献しているのか邪魔をしているのか分かりませんが、神戸のNPOのいくつかに役員として活動に参加しています。市民社会とは何かについては議論が多く、詳しく書く余裕はありませんが、神戸を始めとするNPOの皆様の活動が、まさに市民社会の建設であると思っています。

 

(注)筆者の手記は、第六巻にも掲載されています。