防災教育・学校の役割

長谷川 美也子 五十七歳 公務員  須磨区  


  あの震災からまもなく十年、今回は、学校の役割について考えてみたい。

震災後、教育委員会を挙げて防災教育に取り組んでいる。私の勤務校でも、避難訓練のやり方を工夫したり、職員向けの「防災マニュアル」を見直したりした。

その防災マニュアルだが、職員だけが知っていても何にもならない。私は今、生徒向けの防災マニュアルを作成している。

万一の時、指示を出しても、パニック状態におかれれば指示など聞けない。放送設備が使えない場合もある。極限状態にある時、人はどんな行動を取ると予想されるだろう。自分ならこうするとLHR(ロングホームルーム)などで考えさせたい。

阪神・淡路大震災が起こるまで、いや、その後も何年間かは、学校での防災教育とは、ほぼ火災からの避難訓練であったと言える。震災前後に、私が勤務した学校でもそうであった。

消火器の使い方に慣れることも、避難訓練も必要ではあるが、やり方を考えねばならない。殆どの生徒は不真面目だ。教育とはほど遠い。災害で亡くなった方に失礼だ。かくいう私も真剣ではなかった。堅固な建物の学校で火災など起こるはずはないし、高校生なら自分で何とか逃げるだろうと楽観していた。

このような私の防災教育観を変える出来事があった。平成十四年二月HAT神戸のJICAで「スクールプロジェクトにおける防災教育・国際シンポジウム二〇〇二」が開かれた。

その時の講師の一人が中野直行先生であった。先生は当時教育委員会教育企画室長であった。私とは新卒以来三十二年の交友関係にあった。先生のお話を聴いて、意識が変わった。

「防災教育は自分の生き方を考える教育だ」と、先生は力説した。「人権教育につながるものだ」とも言った。浅学の私は感動した。

もし今、震災が起こったら高校生としてどのような生き方をするのか、生徒に考えさせねばならない。被災者となって避難所にお世話になるとしても、動けるなら自分に出来ることはないか、指示待ち人間になるのでなく、自分で考え出す判断力を身につけさせねばならない。

「僕がリーダーシップを取らねば」、「私は料理が得意だから力を発揮しよう」など、高校生にも出来ることがあるはずだ。お弁当が配られるのを待つのではなく、配る立場に立つということだ。

同時に、人の言うことを謙虚に聴く能力、つまり協調性を養わせねばならない。避難勧告が出されても勝手な判断で楽観視したり、勧告に逆らったりしては災害に巻き込まれる。過去のさまざまな災害から得た教訓や体験を次にどう生かすか、その能力を日々の生活の中で培わせねばならない。

ただし、過去の教育や体験が常に役立つとは限らない。マニュアル通りにならないこともある。避難所に指定されている学校や施設が常に無事であるとは限らない。助けてくれるはずの病院や自衛隊が被災しないとは限らない。あの震災で病院がどのような状況であったかは周知の通りだ。

台湾地震のとき、軍隊の兵舎が被災し、五百人の隊員が犠牲になったという。どのような状況に置かれても人を頼るのではなく、臨機応変に自分で判断し、適切な行動の取れる高校生を育成しなければならない。家庭で、社会で、そして学校で。

私の勤務校では避難訓練を見直し、避難した後の点呼を確実に取る訓練、防火扉を潜る訓練をした。確実に点呼を取るには、毎日、クラスの出席状況を把握していなければならない。つまりは、日頃からクラスメイトに関心を持つということだ。

空席があってもその主を知らない。欠席の理由を問うこともしない。近年、そのようなクラスが増えているような気がする。人のことを思い遣る気持ちを大切にするよう、教えねばならない。防災教育が、人権教育とつながる所以である。

避難訓練を工夫すると同時に、防災教育講演会を開いた。第一回目の講師は、もちろん中野先生にお願いした。先生のお話を聴いて泣いた生徒がいた。第二回目は神港学園神港高等学校教諭・野球部監督北原光広先生に依頼した。野球部のボランティア活動について話された。同じ高校生として、感じるところがあったと思われる。

今回の震災では、関東大震災の時のような、一般の庶民が人を傷つけるようなことはなかった。被災規模や時代が違うと言えばそれまでだが、不幸なことが起こらなかったのは、長年の人権教育の成果だと私は信じている。県立湊川高校教諭・方政雄先生の体験記(第巻『2000日の記録』)の通りである。

防災教育は、自分の生き方を問う教育である。物事の、正しい判断の下せる人間を育成するものである。

「自分の命は自分で守れ」「人命が第一」と言った中野先生、いろいろなことを教えてくれてありがとうございました(文中一部敬語表現省略)。

追記・中野先生は平成十五年十一月急逝されました。ご冥福をお祈りします。

 

(注)筆者の手記は、第三〜七巻にも掲載されています。