非常用袋

時本 みどり 三十九歳 主婦 東灘区  


  あの震災からもうすぐ十年を迎えようとしていた、平成十六年九月五日の突然の揺れは、日々の生活や子育てに追われ「あの日」を忘れかけていた私に「忘れるな」との警告だったような気がする。

「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉を聞いた事があるが、正にその通り、久しぶりの大きくそして長い揺れだった。一瞬あの日の事を思いだして身体が硬直した。

実際あの日を忘れたわけではない。もちろん、忘れようと思っても忘れる事はできない。ただ、人間には辛かった事や苦しかった事を、時間と共に少しずつ記憶の奥底にしまってしまえる力があるのだろう。今では日常生活の中でほとんど思い出す事もなくなっていた。それが先日の震度3を体験した時、しっかりとまだ身体が覚えているのが分かった。

夕方と深夜の二度の長い揺れの間、子供をかばいながらも、
  「このまま揺れが大きくなってあの時のようになったらどうしよう」
と思うと、ものすごく恐ろしかった。

正直言って翌日も、
「昨日の余震で、本震がきたらどうしよう」とビビッていた私だった。
後で聞いた話では友人のお母さんは震災の時の事を思い出し、パニック状態になって大変だったとか。

あの震災を経験した人は皆、身体がしっかり地震を覚えているし、そして、少なからず心に傷を持ち続けているんだと思い知らされた一日だった。

先日の地震の後、新聞のコラムに非常用袋の話が載っていた。
「阪神淡路大震災の直後はパンパンに荷物が入っていた袋から、いつの間にか少しずつ中身を出してしまい、今回いざ必要かも、と言う時には軍手さえも入っていなかった」という皮肉な話だった。

実際、我が家の袋もいつの間にか棚の奥の方に納まってしまっており、今何かが起こっても役に立ちそうもない。

そのうえ、震災の時に家具が倒れたり物が落ちたりした経験から、できるだけ背の高い家具は置かないように、上に物はのせないようにと思っていたのに、子供たちが生まれ、荷物が増え、気が付けば、倒れたり落ちたりしそうな物がたくさんある。反省しきりだ。

今回の地震は、もう一度イザという時の事を考え家族で話し合うチャンスを、神様が与えてくださったのかもしれないと思った。

子供のお友達のお母さん方と話をしていると、驚く事に震災を経験した人は半分もいない。年代のせいかもしれないが、ほとんどの人が、震災後引っ越して来た人かお嫁に来た人だ。

たまたま震災の話が出た時、私が家の下で生き埋めになっていた話をすると、
「えーっ、身近にそんな人がいたなんて」
と驚かれてしまった。あの日の神戸では珍しいことではなかったのだが。

被災地神戸でさえこのような状態では、震災を経験していない人達には他人事で、わかってもらうのは難しいかもしれない。それでも、イザという時、一人でも多くの命を守るために体験を語り、残していくことが、私達生き残った者に唯一できる大切なことだと思っている。

今はまだ小さくて地震の怖さを知らない四歳の娘と一歳の息子、いつか理解できる年齢になったら、「あの日の神戸」で人々がどんな辛い経験をしたのか、みんなで助け合って頑張ったのか、話をしてやりたいと思う。でも、できることなら私の体験談が役に立つ事なく、何事もなく一生幸せに過ごして欲しいと願っている。

 あの時全国の皆さんが送ってくださった救援物資。私はパジャマ姿で避難し、全壊した家からは服をほとんど取り出せなかったので、古着をたくさんいただいて助かった。本当に嬉しかった。

 しかし、古着の中には、真冬なのにビキニの水着があったり、虫食いで穴だらけのセーターがあったり、ドロドロに汚れたままのセーターがあったり。まるで、ゴミ捨て場と間違えているんじゃあないかと思えるものもたくさんあった。市民団体「日本災害救援ボランティアネットワーク」( 神戸市 )によると、西宮市では、救援物資の仕分けに延べ二万七千人以上を動員し、不要物資の焼却に約二千三百万円かかったという。
 水害や地震の被災地に支援物資を送る場合には、最低限のモラルは守るようにしたい。

最後に、あなたの家の非常用袋には何が入っているだろうか。一般的に言われている品物はもちろんだが、あの日家がペチャンコに潰れて何も取り出す事のできなかった私が、震災当日に「あれば良かった」と思った物を書きたいと思う。よければ参考にしてください。

・靴下または携帯用スリッパ‥もし靴が取り出せなかった場合。素足でのガレキ道は危険がいっぱい。傷だらけになった。

・バスタオル‥寒い時季は、上着や毛布がない時はひざに掛けて防寒具がわりに。暑い時季は汗ふきにも使える。赤ちゃんのおくるみとしても重宝。

・コイン(小銭)‥今では携帯電話が普及しているが、あの時はコインが無くて、親戚に安否の連絡さえ出来ずに困った。うまくいけば自動販売機で飲み物も買える。私は主人に買ってもらった缶紅茶で、夜、暖を取ることができた。

・予備の眼鏡または使い捨てコンタクトレンズ‥超ド近眼の私が、眼鏡もコンタクトも無くて大変だった。崩壊した町がはっきり見えなくて幸せだという意見もあったが、約一ヵ月後、自衛隊の車に乗せてもらって、伊丹まで買いに行った。

・生理用品‥私は当日そうだったので、無くて困った。女性は必ず用意しておいた方が安心。髪の長い人はヘアゴムも。

・常備薬‥毎日薬を服用している家族がいる場合は、絶対忘れないように。最低一週間〜十日分くらいあれば安心かも。

・その他‥ラップ(お皿にまけば洗わなくてすむ)やウェットティシュ(手や体をふく)があれば水が無い時に便利なので、袋に入れておくといいと思う。小さな子供のいる家庭は、避難所の雰囲気に子供が驚いたり興奮したりすると思うので、お菓子やお気に入りの物(おもちゃ、絵本等)を持っていくと良いのでは。これを機会に、家族でイザという時の話をしてみるのもいいかもしれない。

寒い中、川の水で洗濯したり、友人のお母さんが川の水でお風呂をわかしてくださって入れてもらったり、春には避難所の人達と山へ山菜を取りに行って天ぷらにしたりと、後で振り返れば辛い事ばかりではなく、笑って話せる思い出も沢山ある。私達被災者の経験が、いつか人の役に立ちますように、出来る事なら役に立てずに済みますように‥十年目の被災地から祈っている。

 

(注)筆者の手記は、第一〜四、六、七巻にも掲載されています。