善意のスイッチ

山中 隆太 四十五歳 自営業 東灘区  


   失くしたものを数えてみても、神戸の深い夜は明けない。

震災の意味を問い、明日を両手で受けとめるために、神戸に暮らす私たちがしなければならないことはたった一つ。

その後の神戸に何が生まれ、そして根づいたのか、震災から得たものを前向きに温めることではないだろうか。傷跡は消えないまでも、そうすることで、今も痛み続ける体内の暗闇を包み癒すことができるのではないだろうか。

いわゆる震災の後片付けが終わり、震災関連ボランティアが次々に収束していった一九九八年頃、神戸を席巻したボランティア熱は収まったかのように見えた。水を運んだり、引越しを手伝ったり、復興住宅を巡回したりしていたボランティア達は、復興の速度に比例して発展的解消を遂げていった。

しかしそれは、震災関連NPOや団体が活動にけじめをつけただけであって、個々のレベルでは発展的継続という新たなスタートではなかっただろうか。震災というテーマから離れ、姿かたちを変えて次々に生まれていった、神戸やそこに住む人達への等身大のボランティア精神。

「人助け」というほど身構えたものではなく、些細な「手助け」によって底辺がどんどん広がっていった結果、今現在の優しくなれる神戸の一面を形成している。

それは何か具体的なボランティア行為かも知れないし、目には見えない小さな思いやりかも知れない。神戸には、他の都市に比べて明らかに体感温度の高い温かな風が吹いているような気がしてならない。

もし「ボランティア指数」を計ることができたら、神戸はきっと高い数値を示すだろう。

なぜなら十年前に受けた全国からの愛を、私たちは忘れてはいないからだ。いつかどこかで、少しずつでも返していきたいという想いを抱えている人が多いからだ。

あの時、神戸中にばら撒かれたボランティアの種は永い時を経て育まれ、たわわな実となって結実し始めた。震災という太い一本の幹から枝分かれした色も形も違う花は、思い思いに咲き誇り、そしてまた神戸の土へと還ってゆく。

サッカーの2002年FIFAワールドカップを機に、私は神戸ウイングスタジアムのボランティアを始めた。親しく話をするうちに、「活動のきっかけは阪神・淡路大震災」と答える人が非常に多いことに気づいた。

私もまたその一人だった。共感し合える集合体は自ずと強い結束力を発揮する。老若男女を問わず、あちらこちらにいくつもの輪ができ、それぞれが連帯し大きくなってゆく。

スポーツに興味のある人ばかりではない。福祉や介護のボランティアと掛け持ちで活動している人も多い。もちろん、震災で家族を亡くした人も、家を失くした人もいる。

しかし、地域の中に自分たちの居場所を見つけた人々の声は明るく、時おり、真っ白な繭に包まれているような感覚に近い心地良さを感じる。

私たちはボランティアだが、無形の報酬を頂いている。それは人々の笑顔だ。あるいは「ありがとう」や「ご苦労様」の一言だ。たったそれだけで私たちの労力は報われ、何もしなかった時間とは比べ物にならないほどの充実感を味わうことができる。

今ではボランティア仲間でフットサルチームをつくり、年齢も性別も経験の格差もなく、ただ無心に一つのボールを追いかけている。毎回のように参加者が増え続け、メンバーはあっという間に五十人を超えてしまったが、それでも居心地のよさは当初から変わらない。人まかせにせず、押しつけあわず、人のために自分の一部を削ることを厭わない。そんな仲間達に私は囲まれている。

震災がなかったら、間違いなく私はここにはいなかっただろう。多くの人達と触れ合うこともなかっただろう。そして地域のことを深く考える余裕もなかっただろう。

震災は神戸の人々の心に「善意のスイッチ」を置いていった。背伸びをすることなく自分の歩幅で歩きながら、いつでも自分のタイミングでON/OFFすることができる善意のきっかけスイッチ。

「空いた時間に少しでも」と思いながらボランティアをしている人も、普段ボランティアはできないけれど「何か役立ちたい」と思っている人も思考のルーツは同じ。

人助けから手助けへ、そして結局それは自分助けへと昇華してゆく。

人に社会に自分を還元しながら、自分自身も楽しんだり、本来の自分に出会ったり、自分を浄化したりしている。人のために何かをすることは、自分のためでもあることを多くの人は気づき、肯定的に受け入れ始めている。

それが偽善であるか自己満足であるかはさほど大きな問題ではない。偽善者かも知れないと悩みながら人助けをしている人は偽の偽善者、つまりは真の善者だと私は思う。本当の偽善者は自分を責めたりしないからだ。思い悩む前に、目の前にある善いと思える行為にすんなりスイッチを入れられる人が増えたように思う。そして、そのスイッチは善意を受けた側の心にも芽生えてゆく。そうして温かなシンパシーはどんどん広がってゆく。

お年寄りや体の不自由な人に席を譲った時、お互いはもちろんのこと、周りもほのぼのとした空気に包まれるように。ボランティアという特別なくくりでなくても、善意のきっかけはどこにでも落ちているし、誰にでも拾うことができるのだと思う。

震災を経験したことで、命の長さは思っていたほど永くはなく、生きてきた過程や努力に関係なく、突然奪われる刹那であることを思い知らされた。同時に一人で生きていないことも思い知った。

あの頃抱いていた「神戸のために何かしなければ」という焦燥感は消え、これからも肩の力を抜いて、できることをやっていけばいいという考え方に次第に変わっていった。

震災の風化とは全てが消えてなくなるのではない。形を変えて人々の心の中に宿ってゆくものだと私は思いたい。

そして私は決して忘れない。一度死に瀕した神戸を蘇らせてくれたのは、多くの人々の優しさであったことを。

 

(注)筆者の手記は、第一、三〜七、九巻にも掲載されています。