なんで秋田県の人が?  

谷口 トク子 六十五歳  西区


   「なんで遠い秋田県出身の人が震災にかかわっているの」と、よく質問される。実は私は秋田県、忠犬ハチ公の里、 大館市 の出身だ。神戸に嫁いで三十五年が過ぎた。

もうあれから十年目を迎える。

秋田県は昭和五十八年に大きな地震に襲われただけに、震災には特に関心が深い。阪神・淡路大震災の一報が入ると即、秋田県は、地震救援対策本部を設置。緊急物資、医療班、消防隊を派遣。被害の大きかった 長田区 の避難所救援センターに医師、看護師、保健医療救護班、計九十二名を派遣した。秋田県庁、四新聞社が設置した救援窓口には県民の温かい善意が寄せられた。

私の古里の北鹿新聞社は、募った救援金を持って、わざわざ役員二名が神戸に来られ、私が 神戸市 役所へ案内をさせてもらった(北鹿新聞社は、阪神・淡路大震災遺児作文集「とってもくやしい」編集委員会編も、シリーズで掲載してくれた)。

三月末、長田小学校で、秋田県健康福祉部医務薬事課が、同県大阪事務所、近畿秋田県人会、同被災地へ救援に来ている同県保険医療救護班の支援を得て、二五〇人の避難生活をしている方々へ、「きりたんぽ」と「稲庭うどん」の炊き出しを行い喜んでいただいた。

そのとき被災者から「秋田県のことを知りたいので、パンフレットや新聞がほしい」と言われ、せっせとお送りしたことを思い出す。

私も「今頑張らずして、いつ頑張るのか」と、ボランティアでがむしゃらに頑張り続け、救急車のお世話になって入院したこともあった。

秋田県民からのこのような温かい善意に感謝するため、今も私は被災地の復興の報告がてら、神戸新聞を、秋田県内にある四つの新聞社と二十数ヵ所の関係先へ定期的に送り、投稿を続けている。

平成十六年一月十七日の神戸新聞に、東遊園地の慰霊祭に秋田県の比内町立扇田小学校の児童から千羽鶴が送られた記事がカラーで掲載された。同校の花田千鶴教諭は、三年生を対象とする「命」をテーマにした道徳の授業で、高井千珠さんの震災で亡くなったお子さんを取り上げた。千羽鶴はそれに感動した児童達が折ったものだった。

その高井さんとNPO法人「ひまわり企画」の荒井勣さん(ひまわりおじさん)から贈られたひまわりの種が、今年(平成十六年)の夏、秋田県内各地で見事に開花した。このように、被災地と秋田県をめぐる善意の輪は、年々広がっている。

震災から十年。震災のことは、今はまだ、きのうのことのように思い出すが、だんだん風化してきた。「記録と記憶」は大切だ。阪神・淡路大震災の体験手記集に参加できたことを感謝する。