晴れ着の写真

松原 洋 七十三歳 写真館経営  長田区


平成七年一月十七日朝、突然激しい縦揺れがきた。続いて南北に振り動かされ、飛び起きたが立っておれない。窓ガラスが割れ、棚の食器が殆ど落ちて割れ、外ではゴーと音がして家が倒れた。

家内は「物が落ちてくるのでテーブルの下に入ろう」と言う。地震が少し落ち着いたので外へ行こうとしたが、停電になったのでエレベータが使えない。階段を駆け降りたら、外はすさまじい風景だった。

JR 新長田駅 南地区の新長田一番街商店街の店舗は、全て南へ倒れて全滅状態。厳寒の中飛び出した人はハダシで抱き合っている。前の二十四階建の市営ビルは扉が開かないので、人がベランダの非常ハシゴにぶら下がって「助けてー」と叫んでいる。

近くの公園へ行くと大勢の人々が南を見て叫んでいる。火の手が上り、みるみる広がってきた。そのうち東西南北全ての方角が火事の炎と煙で空一面が真っ黒になった。サイレンを鳴らして消防車が何台も来たが、水道管が破裂して水が出ない。ただ呆然と焼け落ちるのを見守るだけ。火の粉が飛んできて、全壊の家屋の上に落ちてくる。あーもうすぐこの付近も火事だなーと思っていたら、突然風が逆風になって火の粉の雨が飛んで来なくなった。

電気、ガス、水道、電話、ライフライン全てが使えなくなった。全く情報が入らないし、新聞も届かない。

電気が止まっているから冷蔵庫の食品は一、二日で使えなくなる。水、ガスが使えないから料理はできない。道路が倒壊家屋で埋まっているし、幹線道路も陥没した上に、避難する車で身動きができないから救援車両も通れない。

神戸市 が幹線道路を一般車両通行禁止にしてから、救援物資がやっと届くようになった。〇〇県、〇〇市と書いた遠くからの車が来るようになって、やっと毛布、水、食料が届くようになったのが一週間目くらい。みんな「ありがとう」の連発だった。

地震の三年前に建てたビルは建築基準が新しいから、一部損壊程度で倒壊を免れたが、撮影スタジオの広くて高い壁は崩れて空が見えていた。

地震の二日前が成人式で、スタジオでは新成人となった八十三人の晴れ着姿の記念写真を撮影した。しかし、その明くる日に出したフィルムの現像所は倒壊していた。頼み込んでフィルムを引き出してもらい、大阪のラボで現像、引き伸ばしをしてもらった。

やっと台紙に貼って仕上げたが、それからが大変。お客様への電話は通じないし、「私達は無事です。〇〇小学校に避難しています」と書いた紙が倒壊した家の前に貼ってあるのを書き留めて、自転車で廻る作業が続いていた。

ちょうどそのとき、東京から「何かお手伝いできることがありますか」と言ってNHKが来た。事情を話したら、五名程が撮影した新成人の避難先を、一週間程ホテルに泊まり込みで探してくれた。

写真を持って避難先に訪れると「家もこの晴れ着も焼けてしまって、残ったのはこの写真一枚」と言って泣いて喜んでくれた。全部の写真を届け終わったのは八月だった。

この様子がNHKニュースとBSで放映され、東京新聞では二ページにわたって掲載されてからは、お見舞いや激励の手紙が全国から、また海外からも毎日のように届くようになった。

その間商店街の再建が始まった。全滅の商店街の中、私のビルだけが残って何か後ろめたい気持ちでいたので、理事長を引き受けた。まず潰れた家の解体。重機で解体されてトラックに積み込まれる自分の家を見る人々の、悲しげな顔が痛々しい。

次に 神戸市 と銀行を廻って復興資金の融資を頼む。「担保はありますか」。店舗が全壊で担保があるはずがない。やっと説き伏せて一軒一千万円ずつ借りることになり、手配していた仮設店舗の建設と壊れたアーケードの修理をして、商店街の復興祭りをしたのも八月、神戸で復興第一号の商店街となった。

震災の中で学んだことは、在日外国人を含めた助け合い、他県の人々の救援、ボランティアの有難さだ。「昨日の敵は今日の友」、皆が優しくなった。感謝、感謝の毎日を過ごした。でも、どこにでも「昨日の敵は今日も敵」という人も一人くらいはいるものだ。これが人間というものなのか。

震災直後、電車、車が通らないからと、大阪からリュックサックにいっぱい食料や水にお金まで添えて歩いて届けてくれた友人、用意しているからこちらへ避難してくださいと連絡があった、長野県の知人。人の情けに感涙した震災だった。

あれから九年目。全国的にも大規模の再開発地域に指定されて、遅々として進まない再開発ビルの建設。やっと今年建築が始まってできた第一号ビルは、七百台の機械を置いたパチンコビルである。パチンコをしながら気長に待ってくださいということなのかな。年寄りが多いこの地区、あと何年待てばよいのか、待てなくて他区へ移転していく人々が増えている。

来年で震災後十年、今急ピッチでビルの建設が進んでいる。十年を目途に打ち切られるかもしれない国、県などの震災特例の種々の救済措置。「何とか間に合わせないと」と、まちづくり協議会、神戸ながたTMO、商店街、自治会全ての組織が連日の会議、陳情で寝る間もない日々を過ごしている。震災はまだ終わらない。

震災直後に発足した写真団体「IPA国際写真家協会」はその後、海外を含めた全国規模に発展し、毎年公募展を開催して神戸から写真文化を発信している。