伝えるべきこと

松田 将敬 四十七歳 会社役員  兵庫県三田市


  一・一七

実は、何秒揺れていたのか定かではありません。 

その日、 大阪府豊中市 で被災しましたが、熟睡中で、最後の四、五秒の揺れを体験しました。例えようのない揺れです。

階下に行き、情報収集のためテレビをつけたのが最初の行動でした。二階の窓から世間様を覗くと、普通の冬の風景、見慣れた家がいつものように建っていました。

 

○ 立杭焼は生き残った

その時点で、もっとも悲しかったことがあります。一客五千円の清水焼が、無残にも跡形もなく割れています。しかし清水焼の横にあった立杭焼(丹波焼)は、すべて原形を留めているではありませんか。立杭焼は、前年に「丹波やきもの祭り」で一客百円のバーゲンで購入したものです。

一客五千円の茶碗が破壊されて一客百円が生き残る。これが、わたしにとっての阪神淡路大震災直後のもっとも悲しい出来事だったのです。それが些細なことであると思い知らされるのを、その時は想像もしていませんでした。

次に、テレビに映し出されたのは、高速道路が途切れて、その部分から、今まさに落ちようとしているバスの映像。そして、「阪急伊丹駅」の映像で、正に「阪急傷み駅」です。

次は、空襲にあったような街の風景。とても、神戸だとは思えない映像です。

  神戸と判別する手掛かりは、ホテルオークラ、ポートピアランドの観覧車、六甲山の山頂のパラボラアンテナです。それらがランドマークになり、その三つの点を線に延ばし、相対的に位置関係を推測するしかありません。

 

○「生きているか」と挨拶する

電話口で、「もしもし」は普通でしょう。しかし、「生きているか」と挨拶を交わすのです。その電話も震災直後は掛かっていましたが、当日二十四時間は不通になりました。情報はテレビからしか得られず、テレビ局も混乱していて、映像を頭で再構築しながら、全体像がぼんやりと浮かんでくる有様です。阪急電車は不通、阪神高速、中国道も不通。何もかもが機能しない街。

想像してみてください。朝、目覚めると自分の街が機能していないのです。

 

○ インターネット接続せず

その時、インターネットを接続することは断念しました。常識的に考えて、電話が不通なら、ダイアルアップで接続しているインターネットが接続できる訳はないだろうと。しかし、後日の話を総合すると、当日でも、インターネット経由のメールは、機能していたようです。流石に、元々は軍事目的のネットワークだと感心したものです。

 

  被災三日目

被災三日目、西宮の叔父の家に西宮北口駅から徒歩で向かいました。四十分ほどの行程です。「終戦直後の街は、こんなんやろうな」と一人トボトボと歩きます。

 住宅街の真ん中に一軒だけラブホテルが建っています。以前から、なぜこの場所にラブホテルがあるのか不思議に思っていました。機械や蟻の巣の構造を説明するために片方の一面を透明のプラスチックで覆い内部が見えるようにしたものがありますよね。そのホテルは、その状態で、壁の一面がすべて崩れ落ちているのです。部屋の内装、ベッドの配置、風呂の作りが、通りかがりに一見するだけで確認できるのです。

「ホテルを利用する前に、ああいうふうにすれば、利用者も部屋を選びやすいか」と不謹慎なことを考えていました。 

叔父のマンションに到着し、ロッククライミングで使用していた最も大きなザックから、水、食料を渡して、次に夙川の友人を訪ねました。ちょうど、夙川駅の前に喫茶店があり、そこのマスターらしき初老の方が、道行く人に無料で珈琲を「どうぞ、どうぞ」と声をかけて配っていたのが印象的でした。

 

  被災四〜十四日目のこと

被災四〜十四日目、正確な日時は覚えていません。しかし、見たこと、感じたことを、体験していない方に伝えたい。

○ 中小企業診断士の先生

  お世話になっている中小企業診断士で税理士の先生宅に伺ったときのこと。総勢名ほどで押し掛けました。水、食料を渡し返ろうとするその後から、「あんたら、愛想ないな。 まあ、待ちいや。宴会しょ」と提案されたのです。

 我が耳を疑いました。「この状況で宴会はないやろ」と。しかし、むげに断る理由もないので、そのまま宴会に突入。出されたアテは、松茸を丸ごと煮たパックものや一夜干しの魚、日本酒、ビール、年代もののワインです。 普段は口に入らない豪華な食材で、大宴会。 

酒も廻ってきたので口が渇き、持参した水を飲もうとしたその時、税理士の先生は、「それは貴重な水。飲まんといて。越の寒梅はここにあるし」と一言。

そうなんです、価値観が、まったく違うのです、置かれた状況で。これは貴重な体験でした。先生、ご馳走さまでした。

 

○  水戸市 消防局

水戸は関東の街。だが、東京からどれぐらい離れた街かは知りません。私にとって水戸黄門様と納豆ぐらいが水戸から連想するものです。

しかし、神戸の街を真っ赤な 水戸市 消防局の消防車が走っています。水戸だけではありません。福岡、京都、広島……、全国から消防車が馳せ参じているのです。

中には、「消防団」までが神戸を走っています。地名も記憶に残らない場所から。
 消防士の横顔が車窓の中で歪んでいます。必死の形相。

たしかに、業務であり、それで飯を食っているのであるが、敬意を払うに充分な男たちでした。

 

○ 東灘区 国道2号線沿い

・傘をくれたスーパーマーケットの店員さん

親友の夫婦といっしょに、国道2号線を歩いていました。運悪く雨が降ってきました。 遠くにお店が見えます。近寄るとスーパーマーケットでした。体が冷たく、ずぶ濡れ。傘を買おう。しかし、傘はありませんでした。仕方なく店を出ようとしたとき、後ろから呼び止められました。

店を出ようとして、呼び止められたのは京都の書店で万引きと間違われたとき以来です。
 嫌な空気が流れます。ところが店員の女性は、

「これお客さんの忘れ物。 よかったら使ってください」と本の傘を渡してくれました。 それも、雨の降りしきる道をメートルも追い駆けてきて。ありがたい。

人は、環境によって変わることを学びました。厳しい環境では、優しくなれるのです。

 

・ 雨に煙る線香、教科書

傘を貰ったスーパーマーケットから、大阪方面に徒歩で移動、阪急西宮北口駅を目指しました。印象的な光景が、いきなり目の前に現れました。

  国道2号線沿いに建っていた家の敷地に、小学年生の国語の教科書が泥に汚れています。その横にゆらゆらと立ち上る煙。本の線香が、土くれに差してありました。もの悲しいその光景は忘れられません。

再確認してほしいのです。体験することが、見たり、聞いたりするより、いかに衝撃的なことであるか。私はそれを伝えたかったのです。

 

一・一七では、すべての人が勇敢でした。