その歳々

近田 育美 三十七歳 会社員  垂水区


大震災から本当に十年という年月が経過したのだとあらためて考えた。

この十年を言葉で表現するならば、

一年目「無我夢中」

二年目「二次震災の発生」

三年目「傷跡が残ったまま」

四年目「少し復活の兆し」

五年目「普通の生活に戻りつつあり」

六年目「震災に関する事への拒絶」

七年目「被災地以外から少しずつ震災が忘れられる」

八年目「自分自身の口から震災の事を話さなくなる」

九年目「街の中からほとんど震災の傷跡が消える」

十年目「心の奥底に震災の傷跡が残る」

と、私自身の中では思っている。

しかし、本当にこの言葉が当てはまるのかと考えた時、心の中で迷いがある。

「震災」と心の中でつぶやいた時、息苦しくなるような気がする。涙が出そうな気分にもなる。なぜ息苦しくなったり、涙が出そうになったりするのだろうか。明確な答が私の中で見つからない。

「震災」によって多くの人々が、悲しみ、苦しみを味わった。しかし、私はその中でも比較的恵まれた環境にいたはずだ。しかし年々、心の中の片隅に重苦しい何かが少しずつ大きくなっているように感じられる。

日々の生活の中で「震災」による影響は全くなくなった。

しかし、必ず一月十七日が近付くとテレビ、新聞等で震災関連の事を目にしたり耳にしたりする。心のどこかで「忘れたい」と思っているのだが無理なのである。

テレビや新聞等は、多くの美談を、手を変え品を変え、毎年見つけてきては紹介している。しかし、私はあまり見ない。あえて見ないようにしている。

美談が悪いのではない。美談の前に必ず苦しみがあったのである。そのことを忘れているようで悲しいのだ。

いつまでもその場に止まっている訳にはいかないので、前進する。進む中で、不必要なものは捨ててゆく。しかし「震災」に関しては何一つ捨てて進んではいけないような気がする。それは、本当に多くの人々の犠牲、苦しみ、悲しみがあったからだ。

そのことを忘れてはいけない。否定的で消極的な考え方だと思われるかも知れないが、「阪神大震災」を伝えてゆく上では、必要なことではないだろうか。

多くの人々が死んだ事、家やビルが崩れた事、火事で全てを失った事、水道・ガス・電気が止まった事、壊れた物を片付けた事、交通機関が止まり歩いて移動した事、みんなで協力し助け合った事、毎日キャンプ生活だった事、銭湯に通った事、オシャレが出来なかった事、毎日の余震が怖かった事、ボランティアの人々にたすけてもらった事、その他にも多くの出来事があり、今でも頭の中に鮮明によみがえってくる。このような細かい出来事全てが「阪神大震災」なのだ。辛く苦しかった事も、ささやかに喜んだ事もすべてを記憶しておく事が、私達の役目だと思う。

「十年一昔」という言葉があるが、昔の事を「忘れる」のではなく、「記憶する」事が大切だと思う。昔があったからこそ、今があるわけだ。その事からも「阪神大震災」という出来事を大切に記憶や記録しておくべきだと思う。

その当時の出来事や人々の気持ち等、何でも残しておけば未来の人々の役に立つかもしれない。また、役に立たなかったとしても「阪神大震災」を風化させないための一つの要素となるのではないだろうか。

私の心の中には「阪神大震災」に対して複雑な感情が存在している。しかし、実際体験したからこそ、そのような感情があるのだ。否定しても消し去れないのであれば、記録を残すための一片となればと思い、現在の自分自身の気持ちを書いている。

今後二十年、三十年と経過し、私の心の中の感情がどのように変化してゆくのか分からないが、「阪神大震災」を経験した事によって、何事に対しても、冷静に強く対応出来るようになった事に自信を持って、これからの日々を生きていきたい。

 

(注)筆者の手記は、第二、四、五、六巻にも掲載されています。