私の震災裁判

本 妙子 七十二歳  中央区


一 平成八年(ワ)第九四八号(損害賠償事件)

一 平成十一年(ワ)第一二五号(震災復旧一時金請求事件)

西宮市豊楽町 のマンション(百二十一戸)の震災復旧工事を巡る二つの裁判に、原告と被告の双方の立場から関わりました。手元に残る関係書類や資料は、段ボール箱に三つあまり。

これらの裁判で、物心両面で失ったもの、得たものには、言い尽くせないものがあります。

地震が起こったとき、夫は寝たきりで全介護の身となって三年余り。介護保険制度のない当時、私はリタイア後の職もボランティアも、全てを辞して終日夫の介護に関わっていました。そんな中で、夫は輪番で巡ってきたマンション管理組合の理事長でした。

そして、私たちのマンションは、「中破・半壊」の損壊判定を受けました。

最初の裁判は、理事長(夫)と副理事長が代表して原告となり、「日本マンション学会」と「第5回日本マンション学会(京都)研究報告集」に掲載された「西宮Sマンション」と題する事例調査報告の筆者(某私大教授)を「名誉毀損」で提訴したものです。

 その事例報告書には、私たちのマンションの復旧経過を歪曲したり事実無根の記述があったりした上、理事や役員について、「……知識、状況判断、人間的誠実さなど力量が問われ……」などと書かれていました。役員や復旧委員には、一級建築士、公認会計士、弁護士など、マンション住居者のベストメンバーが選出されていたにもかかわらず、です。

提訴から五年。ようやく和解が成立したときには、私が亡夫の代理を務めていました。

和解条項では、「被告らは、事例調査報告書が、その調査の方法ならびに内容・表現において、適切さを欠き、原告らの名誉・感情を傷つける点のあったことを認め、遺憾の意を表明する」。

「被告らは右学会の学会誌最近号(十号)にそれぞれ、別紙告知文を、前項の『西宮Sマンション』の印字と同じ印字を使用して掲載する」とありましたが、相手側は掲載紙を送っても来ませんでした。

和解から三年後、京都の某弁護士事務所の中にある、「日本マンション学会」の関西支部を訪れ閲覧を申し出て、初めて確認できました。

確かにその告知文は、掲載されていました。しかし何一つ説明もなく、たった十四行の「告知文」。掲載ページの下半分は空白でした。私には、そこに「和解」という言葉が意味する心が見えませんでした。

五年の歳月と心労。三桁の弁護士費用。その結果が、謝罪や遺憾の心の見えない「告知文」でした。

二つ目の裁判は、私たち有志が「何故、全員が最初に賛成印を押した議決が無視されるのか」「何故、管理組合規約が曲げられたのか」「何故、復旧工事の内容を報告文書で配布・報告しないのか」、復旧工事をはじめた理事長に説明を求めたことから始まりました。私たちは集会決議に従わず、工事一時金の支払いを納付期限に「留保」し、告訴を受け被告席に着きました。

戸建住宅に住む人は、嵐がくれば瓦は大丈夫かと屋根へ上り、地震には壁や塀は大丈夫かと家の周りを点検するでしょう。しかし、共同住宅では、区分所有者の持ち家意識も三つに分かれていました。

建設当初からの住人で、マンションという建物全体の構造や建築方法まで理解して分譲購入した区分所有者と、中途購入で入居した区分所有者。賃貸住宅用として購入し、外部に住む区分所有者。その三者三様の持ち家意識の違いが、財産としての建物をどうするのか、という復旧方針への意識を大きく左右しました。

お互いの意識の差や、理解度、その分かれ目を縫って発生したのが、今回の裁判事件だったのではないかと思います。

最初から百二十一戸の区分所有者の意見はまとまらず、公費解体をして建て替えようという人と、直して住めばよいという人が半々でした。結局復旧工事を選択しました。

しかし、その分担金をめぐって、当初「区分所有面積割り」方式で全戸の賛成印を貰ったのですが、区分所有面積の大きな家に有利な割り当て方式が逆転議決されました。普及工事費は、二億円あまり、一戸当たり分担金の平均は百六十五万円です。

平成十五年十二月に判決が下りました。

専有部分関連工事の「不公平な」規約違反は認められ、金額が算定され、三千六百三十万円が減額・修正されました。私の場合、決議された一時金は三百十万円でしたが、二百五十万円余となりました。遅延損害金を含めて約二百九十九万円です。

この二つの裁判を通じて、公正と「筋目」を通し、お金には代えられない大切なものを守れたのではないかと思います。

しかし、裁判に費やした七年の歳月と心労、それに長年培ってきたマンション住民間の絆の喪失感。そして、「果たしてあの時あれでよかったのかな?」という思いも残ります。

「どこかで、なにかがあれば、この七年に及ぶ裁判にはならなかったのではないか?」という、反省もございます。

最近は、日常のメンテナンスを管理会社に委託して、管理組合は名目だけというマンションもあるようです。しかし震災時の私共の管理組合は、昔ながらのマンション長屋的和やかな人間関係が基盤にあり、被災直後の支え合いは、実に見事にお隣同士助け合って切り抜けてまいりました。

やはり、私達はどのような管理組織であっても、まず、管理規約に従って、共同住宅住人としての自覚と責任を忘れないで暮らしてゆかねばなりません。

自覚と責任ということでは、今回は、白紙委任状の怖さを知りました。委任状を出すだけで、大切な議決集会や定例総会に出席せず、どのような意見が交わされたのか経過もわからぬままに結論を任せてしまう危険を痛感しました。

また改めて言うまでもなく、ここぞという大切なときに、日常の基本的な住民意識が如何に大切かを学びました。

今後、増えることはあっても減ることはない共同住宅の住民として、最低限心に留め、守らねばならないこと。そしてそれを日頃から形成し、生活に生かすという努力が、万一の非常災害時に大きな力となることを、心から実感した事件でした。

そして、公平に、公正にという、人として一番大切なことは、必ず認められるということも。