命ある限り

安藤 衣子  六十歳   神戸市須磨区


九年の歳月が過ぎ去り、十年目を迎えようとしております。一月十七日の大震災で生き地獄を味わい、主人を始め人生のすべてを無くしてしまいました。
  どうして生きていこうかという不安が頭の中をよぎりました。五十歳という自分の年齢を確認したあの時、先が見えず不安でたまらなかった日々を思い出します。
  嬉しい時に心の底から喜べないもう一人の自分を、冷やかな目で見ている自分がいるのです。長い間この気持ちは続きました。

今思えばこれは病気にかかっていたのですね。
 毎夜夢の中で会っていた主人。何故かこの頃夢を見てもはっきり顔が浮かばなくなりました。
  四苦八苦していた私が、主人のことしか考えられなかったとき「時間が解決してくれるよ」と励ましてくださった人々の顔が浮かびます。これは理屈ではなく、本当にそのとおりです。

十年は長く遠い道のりでした。私も六十歳を迎えました。人としての仕上げの年代に入ったように思います。
 私にとって主人は素晴らしい人でした。この間にその確信を手に入れることができました。よけいに忘れることのできない人になりました。いつまでも心の中で生き続けることと思います。

子供たち、孫達のことを考えるとき、私もこの世での生活がいつまで続くか分かりません。主人との三十一年間の生活の重みを軽くして、次のステップに登りたいものです。

阪神大震災の体験手記を主人のため、供養のためと思いながら書きましたが、十年目に気が付いたのです。十年目で、この悲しい体験をした自分が癒されていたことに気付きました。本当に感謝です。
 長い年月を行ったり来たりして参りましたが、抜け切れなかった暗いトンネルからやっと出られた思いです。

別れる悲しみは、誰もが平等に経験するものです。親として、子供たちに人としてしっかり生きて行く手本を示すことができれば最高です。親から子へそして孫へと、バトンのリレーができたら幸せです。

喪失感に悩まされ続けた日々、本当に生きる力が弱かった自分です。やっと十年、私も六十歳を迎え自分に少し自信を持てるようになりました。この喜びは主人に感謝です。ありがとうございました。自分の人生を歩んで行きます、命ある限り。

(注)安藤さんのご自宅は、震災で全壊。ご主人は家の下敷きとなり、ご遺体は焼失してしまいました。同時に、ご主人とともに築いてきたケミカルシューズ関連の会社も失われました。
  第一巻から欠かさずご投稿くださり、お一人での慣れない避難生活、新しく見つけたパートの仕事、自宅の再建のことなどを、心の振幅とともに綴ってくださいました。(戸田 真由美)