まえがき

「阪神大震災を記録しつづける会」

編集総括 小橋 繁好


 

 偶然の出来事だった。最後の震災体験記に収録する作品の一覧表を読んでいた時だった。

二〇〇四年十月二十三日午後五時五十六分、私が住んでいる 金沢市 内のマンションが揺れた。

震度3の地震だった。このとき、約二百キロ離れた新潟県中越地方に激震が走った。マグニチュード6・8、震度6強。現地では、さらに、強い余震が続いた。阪神・淡路大震災以降、最悪の惨事となった「新潟県中越地震」だった。

阪神大震災と中越地震は対照的だ。夜明けに発生した阪神大震災は、時々刻々、被害の模様がテレビ画面に映し出された。街中から上がる火の手、横倒しになった高速道路。日が暮れようとした時に起きた中越地震は、被害の様子がなかなかつかめない。不確かな情報を極力抑えたためか、夜になって報道も手探り状態が続いた。

一夜明けて、土砂崩れなどの現場、脱線した新幹線を目の当たりにして、改めて地震の怖さを知った。高度成長時代の安全神話は完全に崩れた。

中越地震については、これから検証しなければならないが、阪神大震災の教訓が少しでも生きたのだろうか。今回はごく自然な活動として、多くのボランティアが被災地に駆け付けた。ライフラインの確保と安否情報の伝達、災害出動や報道姿勢など、阪神大震災では多くの犠牲を払って、数々の教訓を得た。私たちの会は、それを記録にとどめた。

神戸を中心とする大都市を襲った地震から十年目に、過疎地が広がる日本海側で起きた中越地震。これからの復興で、都市とは違った課題が現地の人たちに重くのしかかってくる。

阪神大震災を記録し続けた私たちの活動に、区切りをつけようとした際に起きた中越地震に、何か因縁めいたものを感じる。十年間の成果が、中越地震に、そして必ずやって来るであろう次の大震災の備えと復興に役立つことを願っている。それはまた、体験記を寄せてくださった人たちの共通の思いでもある。そして、記録し続けることの大切さをかみしめながら、新たなステップを踏み出せたらと思う。

2004年10月