それでは、易はなぜ「当たる」のですか?


 希望した学校や会社に入れたら、だれでも幸運(吉)だと喜ぶでしょう。しかし、学校のレベルが高すぎてついていけなかったり、会社が倒産したのでは、不運(凶)です。

交通事故に遭うのは凶です。しかし、運ばれた病院の患者仲間に理想の伴侶を見つければ吉です。

吉は凶の可能性をはらんでいますし、凶は吉の可能性をはらんでいます。

物質的な願望を達成すれば、精神的な安らぎを失い、精神的な願望を達成すれば、物質的な安定を失う恐れがあります。さらに言えば、世間から見て吉でも、あなたにとっては凶かもしれません。

玉の輿は世間からは吉ですが、姑が陰険なら嫁にとっては凶です。交通事故で失明すれば、世間からは凶ですが、「命だけは助かった」と本人が喜べば吉です。まして、失明をきっかけに音感が鋭くなり、大作曲家になったとしたら大吉です。

 中国には、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」という故事があります。

塞翁は辺境の砦(とりで)に住む老人です。あるとき、飼っていた馬が逃げてしまいました。隣人が「残念でしたね」となぐさめると、塞翁は「いや、そうかな?」とがっかりした様子もありません。数日して失踪(しっそう)した馬が駿馬(しゅんめ)を連れて戻ってきました。

隣人は今度は「よかったですね」と祝福しました。しかし塞翁は「いや、そうかな?」と、前と同じ返事をして喜ぶ様子がありません。果して、しばらくすると、駿馬を馴らそうと訓練していた塞翁の息子が落馬して足が不自由になりました。

 隣人が「今度こそ、困りましたね」というと、塞翁はまたしても「いや、そうかな?」と落胆した様子もありません。やがて隣国と戦争が起こり、大勢の若者が兵隊に採られ命を落としました。ところが、塞翁の息子だけは、足が不自由だったので徴兵から逃れたのです。

このように、人生の吉凶や禍福(かふく)は常にあい表裏して変転します。

 森羅万象のなかに陽と陰の要素が内在しているとする周易の思想は、このような経験則から生まれたのでしょう。周易の思想は、六十四の卦義(かぎ)のすべてに反映しています。

逆に、六十四卦(か)のすべてを通じて、その思想を伝えているといってもよいかもしれません。従って、どの卦がでても、周易の思想が正しいかぎり、「当たる」ことになります。



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